ただ「あきらめて仕方なく我慢している」

生徒たちが理不尽な校則に従うのは「みんなが我慢しているから」だと教師は言いますが、この例では、生徒全員が「もう我慢するのはいやだ」と考えています。

一人一人がバラバラで教師のところへ行くと、「みんなも我慢しているんだから、お前も我慢しろ」という言葉を返されて、「この我慢をおかしいと思っているのは自分一人だけで、他の『みんな』はそう思っていないのか。なら仕方ないな」とあきらめさせられます。しかし、それは決して「みんな」が納得して我慢しているわけではなく、ただ「あきらめて仕方なく我慢している」に過ぎません。

もし、一人一人がバラバラにではなく、5人や10人、あるいは生徒全員で教師のところへ行ってみたらどうでしょう。

教師はもう「みんなも我慢しているんだから、お前も我慢しろ」「みんなに禁止しているのに、お前一人だけ許可するわけにはいかない」という言葉を使えなくなります。

生徒たちが「みんなって誰ですか? ここにいる『みんな』は、この校則はおかしいと考えています」と主張すれば、教師は反論することが難しくなるからです。

元気な小学生が中学生になると面白みのない生徒になる…「みんなも我慢しているんだから我慢しろ」無能教師がはびこる日本の同調圧力教育_3

教師が握る「内申書」を恐れて萎縮した同級生たち

しかし、当時の中学教師はもう一つ、絶大な威力を持つ「武器」を持っていました。

それは「内申書」または「調査書」と呼ばれる書類です。

内申書は、高校を受験する中学生の一人一人について、中学校の教師が受験先の高校へ提出する書類で、中学時代にどんな生徒だったかなどについての情報が含まれています。

内申書には、中間テストや期末テストの成績に加えて、出欠状況の記録や学級活動、生徒会活動、部活動の内容、そして個々の生徒について教師が書く「行動の記録」や「総合所見」などが記載されます。このうち、成績や活動内容は、ある程度の客観性を持つ形で情報が記されますが、「行動の記録」と「総合所見」については、教師による主観的評価の占める割合が大きく、多くの同級生が内申書の存在を気にしていたようでした。

内申書にどんなことを書かれるかによって、希望する高校へ入学できる可能性に違いが出てくるなら、中学生は必然的に、教師に気に入られるような態度、あるいは「変わった生徒」として教師に目を付けられないような態度をとるようになります。

校則などの学校のシステムに疑問を呈したり、教師に反抗するような態度をとれば、心証を害した教師が内申書にどんなことを書くかわかりません。