「みんな」を持ち出して我慢とあきらめと服従を強いる手法
ここで紹介した中学教師の二つの言葉は、在校中に何度言われたかわからないほど、頻繁に耳にしました。
おそらく、これを言えば生徒は黙るという「成功体験」が彼にあったのでしょう。
でも、論理的に考えれば、やっぱりおかしくて、とても不誠実な言葉です。「みんなも我慢しているんだから、お前も我慢しろ」理不尽だと思う何かについての我慢を強いられる理由が「みんなも我慢しているから」というのは、説明になっていません。
「みんなに禁止しているのに、お前一人だけ許可するわけにはいかない」これも同じで、私が何かの許可を得ることを認められない理由として「みんなに禁止しているから」というのも、説明になっていません。
生徒に我慢や禁止を強要することが正当な教育の一環であるならば、それが必要である理由を論理的に説明できるはずです。しかし、私が当時接した中学の教師は、それを論理的に説明する代わりに、非論理的な詭弁であしらい続けました。
みんなが我慢しているから我慢しろの矛盾
この態度は、私に対してだけでなく、他のすべての生徒に対しても、きわめて不誠実なものであったと思います。なぜなら、皆が服従しているという「状況」を理由に、個々の人間に服従を強いることが許されるなら、あらゆる理不尽が正当化されるからです。
例えば、こんな状況を考えてみましょう。
生徒Aがある校則を廃止して欲しいと教師に言うと、教師はこう答えました。
「みんなも我慢しているんだから、お前も我慢しろ」
翌日、生徒Bが同じことを教師に言い、同じ言葉を返されました。
その後、生徒C、生徒D、生徒E……生徒X、生徒Y、生徒Zが、それぞれ一人で教師に同じことを言いましたが、教師は同じ言葉を返し続けました。
何がおかしいか気づきましたか?