交際中のヘレンが後押し、漫才の世界へ
そこで、まだ交際中だったヘレンに相談しました。やすしさんと違って喫茶店に行くお金はないので、中之島公園のベンチに2人で座って、近くの店で買ってきたごぼ天やらイカ天やらを食べながらの話し合いです。
横山やすしという漫才師のことを知らなかったヘレンは、初めはあまり真剣に考えていなかったようです。しかし、やすしさんからの相談の回数が増えるにつれて「今日はどない言われたん」と真剣に耳を傾けるようになり、最後にはこう言ったのです。
「そこまで愛されてるんやったら、いっぺんやってみたら?」
そのころには私の気持ちもかなり傾いていました。大勢の役者に交じって舞台の隅っこに立ち、セリフと言っても「へえ、おおきに」くらいしかない役者に甘んじているより、2人っきりでセンターマイクの前に立って“主役”として芸を披露できる漫才師のほうが、私にとって大きなチャンスと言えるかもしれません。
それでも心配性の私は決心がつきません。
「失敗したらどうすんねん」
「2人で北海道に行って、アパートの2階の一番奥の部屋を借りて、サンマでも焼いて食べて暮らそ」
どこからそういう発想が湧くのか分かりませんが、おそらく演歌を聴いていてそんなイメージを持ったのでしょう。私も言い返します。
「北海道はニシンや。サンマやない!」
じつにどうでもいい会話ですが、この時の2人にとっては人生を左右する話し合いだったのです。
そして、腹をくくったヘレンの後押しで私もようやく決心し、二十数回目にしてやすしさんからのプロポーズを受け入れることにしました。
やすしさんは大喜びです。
「よっしゃ!よう決めてくれた!おおきに!」
その足で私は吉本興業に行き、やすしさんとコンビを組んで漫才をやることにしたと報告しました。当然ながら会社は渋い顔です。
「もし失敗しても新喜劇には戻れんぞ」
「わかりました。一所懸命やらせていただきます」
こうして若手漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」は誕生しました。
時は昭和41年の3月。大阪にも桜前線が近づいていました。
文/西川きよし
写真/吉本興業提供
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