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「過去の自分と線で繋がっているわけではないから、ある時点の自分と考え方を戦わせたり混ぜたりして思いとどまることもある」」今の自分は最新だけど、いちばん正しいとは思えない――又吉直樹の“時間と人間”_1
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「火花」を書いたとき、又吉直樹もエゴサした

又吉 ニシダくんはそれこそ『アメトーーク!』(テレビ朝日)の「読書芸人」でも川端康成とか大江健三郎とか、とんでもない大作家を好きだと公言してるでしょう。そこから小説書くって、結構怖いよね。

ニシダ 怖いです…!

又吉 「小説あんまり読まないですけど書いてみました」って人だと、下手でも「頑張って書いたんやな」ってなる。でも僕もそうやけど、散々「好き」って言ってるとちょっと違う怖さがあるよね。これはあんまりみんなはわからない気持ちなのかもしれないけど。

ニシダ 今回、『不器用で』のキャッチコピーに「年間100 冊を読破、無類の読書好きとして知られるニシダが」って書いてあるんです。見るたびに「どこでハードル上げてるんだろう」って毎回思ってしまってます。

又吉 (笑)。でも読む側からしたら「それだけ本を読んでる人はどんなものを書くんやろう」って興味はあるんでしょうしね。

又吉直樹「火花を書いた時はエゴサをしました」…タレントが小説を書くということ。永遠につきまとう「作品性」か「作家性」かの問題_2

ニシダ ひとつ気になってるのは、太宰が好きだといろんなところで言っていると、僕が書いたものを読んだ人が文章の中に太宰のエッセンスを探すんですよね。「太宰が好きだからこう書いたんだな」って理解のしかたをされることがあるというか。又吉さんもそういう反応は感じますか?

又吉 それはあるでしょうね。僕は人の反応を自分から取りに行かないから、そういう感想に触れる機会は多くないんですよ。でも僕が見てないだけで言われてるんやと思います。

ニシダ 自分は死ぬほどエゴサするんですけど、しないですか?

又吉 『火花』を書いたときは少ししました。お笑いの場合だとライブでウケたとかウケへんかったとか、なんとなく体感でわかるじゃないですか。だけど小説の場合は笑い声が聞こえてくるわけじゃないから、どういう反応なのかちょっとだけ見ようと思って。でもやっぱ見ないほうがいいなって思ってます。嫌なこと言われてたときに、僕は結構心が乱されるタイプやから。

ニシダ 本になるとき、何度も読み返したり直したりしてるうちに、本当に面白いのかどうか人の評価にあたらないと自分が保てない感じがあったんです。又吉さんは書いていて、人の評価じゃなく自分の基準で「これは面白い」と思える軸がありますか?

又吉 それがいいことかわからないんですけど、僕はありますね。多分もともとイタさというか独りよがりな部分があって。みんな寝る前に読むように枕元に好きな本を置くじゃないですか。

あんまり言いたくないんですけど、僕、それが自分の本なんですよ。寝る前に自分の本を開いて読んで「面白いな」って(笑)。小説は読み返すのに気合い入れないと怖さがあるから、エッセイですけどね。でも発表するときは、誰が「おもんない」って言ったとしてもこれは面白いはずだって勝手に思ってしまってるかもしれないですね。

ニシダ それは初めて小説を書いたときからずっとそうですか?

又吉 そうですね。「ふつう、人間ってどれくらい謙遜するんかな」とか考えて、「いや、自信ないです」って振る舞うようにはするけど、基本的には自分の作るものは結構好きというか。

もちろん「これで完璧や」とはまったく思わないし、他者が読んだときに面白いと評価してくれるかどうか、不安はあります。でもそれとは別個で、自分が作ったものを自分で面白いと思えるというところだけはわりと保ててるかもしれない。それは僕の中では別なんですよね。