42歳で、付き合うとか付き合わへんとか言ってていいのか はこちらから
――「草食系男子/肉食系男子」という言葉を取り上げたエッセイ「ほんまは怒ってないで」で「誰かの人生の一定期間を指して、『あの時、彼は肉食系男子だった』という言葉は既に破綻している」「一時的な状態を生涯その人に背負わせるのはおかしい」と書かれていました。
エッセイの本筋からは外れますが、物を書いたり表現したりする人は「一時的な状態を生涯背負わされる」事態が発生しやすいと思います。「あのときはこう言っていた」「かつてはこう書いてたのに」と言われるとき、又吉さんはどう感じますか?
そういうことを言う人、よくわからないんですよね。それって、人間が時間経てば変化するとか、周りの影響を受けて良くなったり悪くなったりするっていう大前提、世界の理(ことわり)みたいなものを無視してるじゃないですか。
ほんまの意味で言ってることがずっと変わらない人って、「言うこと変えんとこ」って決めてしまってる可能性も結構あると思います。
それは僕はいらないかな、と。根底にある「こういう材料が揃ってたらこういうクオリティの料理を出す」っていう腕とか素質のようなものが一定であれば、つくるものは変わるやろ、と思います。
昔できなかったことが、時間が経ってもっと何か別のものがつくれるようになったりするじゃないですか。
――受け取り手の中には、好きだと思っていたものが変わっていってしまうのが寂しい、という感覚を持つ人もいると思います。
もちろん、あるロックバンドがずっと同じ音楽性でやり続けるようなスタイルは、それはそれでかっこいいと思います。
でもそれは変わらないことをやろうと決めた覚悟がかっこいいのであって、変わることが格好悪いことではまったくない。好みとしては、変わっていったほうがかっこいいと僕は思ってしまうんで。
ただ、変わっていって変わっていって、 “今”がいちばん最新の自分であることはたしかなんですけど、それが最高の自分かどうかはわからんって思ってるんですよね。
3年前のほうが面白かったかもしれないし、どこかの部分では過去の自分に負けてるところは必ずある。
だから、今の僕が何か「こうしたい」と思ってても「5年前の自分やったらどう考えるかな」とか「10年前の自分だったら」「デビューしたての頃の自分だったら」って、一回その当時の自分の考え方を尊重するんです。
“点”において平等というか。過去の時点の自分と考え方を戦わせたり混ぜたりして、「今の自分はこうしたいけどこうじゃないかもな」って思いとどまることは結構ありますね。