自分で書いてみると、
小説の持つ面白さをもう一度認識できる
ニシダ 気を抜くと、主人公に都合がいい人ばっかり出てくるようになってしまいそうで、すごく注意してます。主人公以外の人間を書くのが難しいですね…。
又吉 『不器用で』の中だと、どれを一番最初に書いたの?
ニシダ 「アクアリウム」が最初ですね。東日本大震災の後、沿岸で漁をしていると獲れた魚のお腹から人間の爪や髪の毛が出てくることがあるという話をドキュメンタリー番組か何かで見て、それがずっと気になっていたところから話ができました。
又吉 そうなんや。この2人が、起こったことを抱えきれへんから周りに言わないみたいな、ああいう心境はすごくわかるなと思ったんですよ。
子どもの頃、友達の家で遊んでたら無言電話がかかってきたんですよ。友達のお兄ちゃんが電話とったんだけど「誰じゃコラァ!」ってすごいキレ始めて、僕らはそれを「かっこいいな」「無言電話にあんな強く言ったことないな」と思いながら見てて。
それで次にまたかかってきたときに、弟である同級生が同じようにキレたんです。そこから順番に友達が電話口に出てめっちゃ文句言うっていう、儀式みたいになっていって。僕は「嫌やな」と思ってたけど順番が回ってきて、「何か言わな」と思ってたら電話の向こうから「…殺すぞ」って聞こえてきたんですよ。そこで「え? なんで俺ってわかったんやろ」と思ってしまったんですよね。
ニシダ (笑)
又吉 そのことを、なぜか俺はみんなに言えなかった。「どうしたん?」って聞かれても「いや、なんか言ってたっぽいけど聞こえへんかった」とか言って。みんなは通過できた成人の儀式みたいなものに、自分だけ通してもらえなかった感覚でした。そのことを自分の中だけで抱えてたんやけど、そういう心境に近いのかなって読んでて思いましたね。
ニシダ 抱えきれずにでも言えないって、多分、そういうことですね。
――自分で書いてみたことで、又吉さんの作品を含め、ほかのかたの書いたものへの読み方も変わりましたか?
ニシダ 以前は読んでいてパンチライン的なかっこいい文章に注目しがちだったんですけど、今は普通の情景描写やなんてことないところを他のかたたちはどう書いてるのか、すごく気になるようになりました。なんでもないことを書くのがいちばん難しいなって。読むときにどこに注目するかは結構変わったと思います。
又吉 18歳くらいのときに、「結構小説読んでるし、自分も書けるのかな」と思って原稿用紙買ってきて書き始めたら全然書けなかったんですよ。「あれ? みんな、書き出しってどうしてたっけ?」って思って、繰り返し読んだ小説をもう一度開いたとき、初めて読んだときと同じくらい面白く感じたんです。
「なるほどな、何もない世界の一行目にまずこれを置いて、ここから始まんねや」って。どれくらいの覚悟を持ってこの一行を書いたのか、そこから続いていく文章はなんなんやろうとか、いろいろ思いました。
それまでは、読み始めてすぐはあんまり世界に入っていけなくても、途中から物語が動き始めたら面白くなっていって後半に盛り上がりがあって…と、そこに小説のカタルシスがあると思っていたのが、書こうとして書けなかった体験を持って本に向き合ったら一行目からめちゃくちゃ面白く感じて。
ニシダ めちゃくちゃわかります。書いてからのほうが、今まで楽しめてなかったことがいっぱいあるんだって気づけました。
又吉 それはすごくありますよね。だから、みんな一回書いてみたら小説や物語がもっと面白く感じるんじゃないかなって思ってます。
取材・文/斎藤岬 写真/松木宏祐