当時の中絶数は年間20万件

「当時、多くの虐待事件が報道されていましたが、大阪で1歳と3歳の子どもが母親に放置され、最後に食べたのが段ボールだったというニュースには本当に衝撃を受けたんです。それまでになんとかできなかったのか、と……」(松原さん、以下同)

大阪二児餓死事件。2010年、大阪市で当時22歳の母親が、1歳と3歳の子どもを猛暑の中、クーラーもつけずに自宅に放置して、餓死させるという凄惨な事件が、松原さんを動かした。

※写真はイメージです
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母親たちのサポートをするために松原さんは幼稚園を設立。そこで医療従事者である保護者から、産まれるまでに命を落とす子ども、つまり中絶される命が当時年間約20万にものぼることを知る。

「その事実を知って、望まない妊娠をする母親の手助けをできないか、これから産まれてくる新たな命を救うことができないか、そう考えたんです。

中絶問題について調べていると、母親たちの中にはNIPT(出生前診断)やエコー検査でお腹の中で胎児に障がいや病気があるとわかると、それが“望まない妊娠”に変わってしまう人がいることを知りました。
しかし、“望まない妊娠”には“産まない”だけではなく、 “産んで託す”という選択もある。それを知ってもらうことが大事なのではないかと気づきました。
そうしてみぎわが今の形へと変化していったのです」