『ブエノスアイレス』公開後に自身のセクシュアリティを公表

〈レスリー・チャン没後20年〉家父長制の価値観が色濃く残る中華圏でゲイであることを公表していたレスリー。今なお悲劇を繰り返す、差別や偏見の存在_2
『ブエノスアイレス』でカップルを演じたレスリー(右)とトニー・レオン
Collection Christophel/アフロ

少年のような可愛らしさとともに、艶やかな美しさを携え、演技力も文句なし。三拍子揃った大スターの彼は、中華圏俳優では珍しい、ゲイであることを公言したスターでもあった。といっても、その立ち居振る舞いはとても彼らしい。
『ブエノスアイレス』の公開後にセクシュアリティを公に明かしたのだが、それ以降はことさらに自身がゲイであることをアピールしなかったのだ。

今、もし著名人が性的マイノリティのみならず、なんらかのマイノリティであることを公にしたならば、あらゆる差別や偏見をなくすための矢面に立つ存在になることに直結するだろう。
本人だけでなく、他の当事者にとっても生きやすい社会を作る代表になるケースが非常に多く見受けられる。だが、当時の彼はそうはしなかったし、多くのファンもそれ以上の情報を望まず、静かに彼を応援するのみだった。

そもそも彼は、約20年にわたるパートナー、ダフィー・トンとの関係がファン公認だった。それゆえに、カミングアウト以降は大っぴらにゲイであることを主張することを控えていたと思われる。

ところが、当時は今のように、セクシュアリティを個性として受け止める土壌は育っておらず、有名人がゲイであることをアピールすると、仕事に影響してしまうことも避けられない。それどころか、ゴシップ文化花盛りの90年代香港においてのカミングアウトは、マイナスの効果を招いてしまう可能性のほうが大きかった。

レスリーはその状況を理解したうえで、常につきまとう「ゲイ疑惑」の「疑惑」部分を取り除き、自分はパートナーと幸せだということをファンに知ってもらいたい一心でカミングアウトしたのだろう。

実際にカミングアウト後は仕事にも影響を及ぼし、ゴシップ誌にあることないこと書かれても、レスリーは反応せずに毅然とした態度を貫いていた。

〈レスリー・チャン没後20年〉家父長制の価値観が色濃く残る中華圏でゲイであることを公表していたレスリー。今なお悲劇を繰り返す、差別や偏見の存在_3
彼の突然の死を悼み、当時ホテル前には多くのファンが詰めかけた
ロイター/アフロ

そんなレスリーは、SARSパンデミックの真っ最中だった2003年4月1日、マンダリン・オリエンタル・ホテルの高層階から飛び降り、46歳の若さで亡くなってしまった。

彼の死にまつわるエピソード――別の男も愛してしまい2人のうちのどちらかを選ぶことができない苦悩や、それに伴うゴシップ報道の加熱など――は、ファンの間ではあまりにも有名なため割愛するが、彼が死を選ばなければならなかった背景のひとつは、おおよそ見当がつく。

昔も今も変わらない、当事者以外からの偏見だ。