M-1の審査に納得できない人こそ劇場で生の漫才を見てほしい
——言葉の話でいうと、人々の価値観が細分化されて、不特定多数に伝わる共通の話題や固有名詞が少なくなっていることについてはどうでしょう。
これからはもっと少なくなるでしょうね。でもそれはそれとして、伝わらないことをネタにすればいいんだと思いますよ。ツッコミで「そんなん知らんわ」でもいいですし、フリで「それ何の話?」みたいにもできる。一番よくないのは、どうせ伝わらないだろうと思ってやらないことです。やりたければやればいい。そのうえで、伝えるための方法、笑いを起こす方法を考えればいいんです。
——名前や固有名詞も積極的に入れていい、と。
劇場でやるぶんには全然いいと思います。固有名詞を入れることでキャラクターもつきますから。ただし、コンテストや賞レースでは、なるべく入れないほうがいいでしょうね。さっき言った競技用漫才として割り切る話に通じますが、知っている人と知らない人で評価がはっきり分かれてしまうので、一発勝負の勝つことを目的にしている場では、入れるとしたら明らかに認知度の高い言葉にして、そうでないなら割り切ってカットするのがいいと思います。
劇場だと、大阪のなんばグランド花月と東京のルミネtheよしもとでウケ方が違ったりするのを試したりできますけど、コンテストや賞レースでそれをやってしまうと、予選では大爆笑だったのに、決勝ではまったくウケない、みたいなことも普通に起こりますからね。リスクが大きすぎます。
——M-1グランプリの「アナザーストーリー」に象徴される、芸人の裏側を見せて感動物語に仕立てる風潮についてはどうでしょうか。
それはもう漫才とはまったく別の話ですね。M-1グランプリという大会、ひいてはゴールデンタイムのテレビ番組としての演出ですから、制作者が盛り上げるために、視聴率のために必要だと思ったのなら、やればいいだけのことです。でも、あれが芸人のすべてだと思われてしまうのはもったいない。漫才のネタはもちろん、芸人の振る舞いにしても、テレビを通じて伝わるものと、劇場で生で見るものはまったく違います。
なので、M-1グランプリで漫才を好きになった人はぜひ劇場に行ってください。テレビでM-1を見て、審査員の点数に納得がいかない人にこそ、生の漫才を見てほしい。だって審査員は生で見てるんですから。テレビの前で見る漫才と、目の前で見る漫才と、同じなわけがないんですよ。劇場で生で見る漫才は、絶対にテレビやネットで見るよりもおもしろいですから。(敬称略)
#1 NSC時代にいちばん「常軌を逸している」と思った芸人と優等生芸人
取材・文/おぐらりゅうじ