「イケメンが用意できました」の連絡に腹をくくってデビュー
小笠原さんはそれまで“唯一の男”だった夫と59歳のときに死別。そこからタガをはずれたようにスナック遊びに没頭した。
その後、常連だったお店のマスターから「この店を閉めるから代わりにやってみないか」と誘われて、61歳からの7年間、ママとしてお店に立ち続けた。
しかし、スナックをやめてもまだ68歳、アダルト業界デビューまではまだ13年もある。
――スナックをやめたあとは何をしていましたか?
小笠原祐子(以下、同) 息子が車関係の自営業をしているので、その仕事を手伝ったりや知り合いの居酒屋で働いたりしてました。
その居酒屋がひどいところでさ。結局、5ねん経ったのでやめたんだけど、元暴走族がオーナーだからお客はヤクザばっか。どことどこの組が仲が悪いから注意しなくちゃいけないとか、ケンカもしょっちゅうで。おかげで肝がすわりました。
――その肝の太さも今の仕事に役立っているかもしれませんね。しかし、なぜセクシー業界に?
私のスナックの常連客だった女性から3年くらいずっと誘われてたのよ。彼女、美容師で私の髪の毛もよく切ってもらってたんだけど、その後、フリーのヘアメイクになってからアダルト業界の現場に行くようになったみたいで、「ママ、セクシー女優やらない?」と言ってきて。
もちろん最初は「バカじゃないの、なんで私なんかが?」「やるわけないじゃん、この歳で」と断りましたよ。
――さすがにふたつ返事でOKしたわけではなかったと。
でも、ある日、彼女から「たまにはご飯一緒に食べない?」と連絡があって家に遊びに行ったら「ルビー」っていう熟女系メーカーの従業員がいたんです。
どうやらふたりで私を口説き落とそうと家に呼んだみたい。
それでも「人に裸なんて見せたくないから」と断ったけど、「スタジオだけでも見に来てください」と言われて。
――AVの撮影現場を目のあたりにすることに。
見るだけ見て断ればいいかと思ってね。それで、その撮影していた作品が老人介護モノだった。5、6人のお年寄りの男性が若い女優とライトを浴びてガッツリ、ヤってたのよ。
それを見た私が「私こんなのイヤだな。イケメンじゃないとイヤ」とポロッと言ったの。そうしたらメーカーの人に「イケメンだったらいいんですか?」と解釈されてしまって(笑)。
10日後にその人から「イケメンが用意できました」と電話がかかってきた。「そこまでしてもらったら腹をくくらなきゃダメだ」と作品に出演することを心に決めました。