偽物と疑われた近藤の虎徹

池田屋に踏み込んだ近藤が「御用改めである。主はおるか!」と大声を響かせると、主人の惣兵衛は二階に集まっていた志士たちに「御取調べにございます!」とこれまた大声で叫んだ。

この夜、二階では宮部ほか長州藩士・吉田稔麿(としまろ)、土佐(高知県)脱藩浪士・北添佶摩(きたぞえさつま)、土佐藩士・望月亀弥太(もちづきかめやた)など20人以上の尊攘派志士が会合していたが、新選組の急襲で大混乱に陥った。のちに、土方や会津藩の藩兵も駆けつけ、尊攘派は宮部や北添・望月ら多くの志士が死亡または負傷した。

この池田屋事件で近藤が振るった刀が「今宵の虎徹は血に飢えている」という決め台詞で有名な武蔵国の刀工・長曽袮虎徹の刀といわれている。虎徹の来歴ついては諸説あるが、もとは甲冑(かっちゅう)の鍛冶だったという。

しかし、五十歳前後に刀工に転じ、以来、その斬れ味に定評があり、業物位列(わざものいれつ)(斬れ味の位付け)では最も斬れ味が良いとされる「最上大業物」に格付けされている。

「刀 銘 長曽祢虎徹入道興里」(ながそねこてつにゅうどうおきさと)近藤勇が所持した虎徹は現在行方不明。これは同じ刀匠・長曽祢虎徹による作で、反りが淺く、身幅の広い虎徹らしい姿だという
「刀 銘 長曽祢虎徹入道興里」(ながそねこてつにゅうどうおきさと)
近藤勇が所持した虎徹は現在行方不明。これは同じ刀匠・長曽祢虎徹による作で、反りが淺く、身幅の広い虎徹らしい姿だという
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このため虎徹の刀には虎徹の生存中から偽物が多数出回り、刀剣鑑定家は「虎徹を見たら偽物と思え」と自戒したという。そこで、近藤が愛刀とした虎徹についても、昔から偽物説が唱えられている。

近藤が虎徹を入手した経緯についても諸説あるが、一説に江戸から上洛(じょうらく)するにあたって刀剣商から購入したという。ところが、その刀剣商はなかなか虎徹の刀を調達できず、源清磨(みなもときよまろ)の刀を削って虎徹の偽の銘を切って近藤に渡したという。

偽物説の根拠の一つが、虎徹の値段だ。虎徹の刀は高価で、近藤の身分で購入できるようなものではなかったともいわれる。また、同じ新選組の幹部だった斎藤一は、のちに自分が古道具屋で購入した刀(無銘)を近藤に贈ったところ、近藤は「虎徹に似ている」言って気に入っていた、と証言した。しかし、近年、近藤が所持した虎徹は真作だったとする説が有力になってきたともいわれる。