AIには責任がとれない

二つ目の理由は、AIには責任の取りようがなく、かつAIが導いた判断そのものには、人の心を動かす力は内在されていないということです。

AIは、その判断に誤りがあって会社に損害を与えたとしても、責任を取れません。会社に損害をもたらした場合、AIを代行して代表者が責任を取って謝罪するしかありませんが、基本となる判断も指示もAIに依存しているわけですから、代表者の言葉を信じる人はいないでしょう。

一方、経営のトップが自らの頭と意思で判断し、指示したものであれば、当然説得力もありますし、責任の重みも違います。

私が社長として伊藤忠商事の巨額の不良債権の一括処理と無配を決めたときは、株主、取引銀行、会社OBをはじめ、社内外の反対にあいました。

「人員削減や不動産の売却で、少しずつ損失を埋めていくべきだ」というのが大半の主張でした。しかし、このままでは腐ったりんごのように会社は衰退し、根本から信用を失ってしまいかねない。そんな危機感を抱いた私は、「将来は必ず収益を上げて、高い配当を実現するので、ついてきてほしい」と方々に頭を下げ、説得を重ねました。

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もしAIが経営判断の決定権を担っていたとしたら…

ときには「会社がつぶれたらどうするんだ! 責任を取れるのか」と大株主たちから強い口調で詰め寄られました。イギリスやドイツなど海外の株主や債権者、投資家などには、財務担当専務と一緒に、必死で説明をして回りました。このときも厳しく経営責任を問われ、何度も決裂寸前の口論になりました。

しかし結果的には、マーケットは不良債権の一括処理を評価してくれました。激しく私たちを責め立てた投資家や株主のなかには、説明の翌日には株を買ってくれた人もいて、私自身感動したことを今でも覚えています。

このような状況のとき、もしAIが経営判断の決定権を担っていたとしたら、どうなったでしょう。

ここからはSFの世界です。私が自分の頭ではどうするべきか判断できず、AIが不良債権の一括処理と無配を最適解として出したとしましょう。

そのとき、私がAIの指示に従って周囲を説得するには限界があります。なぜなら自らの頭と意思によって出した結論であればこそ、私は強い信念と情熱を持って相手を説得できる。しかし、ただおとなしくAIの判断に従って仕事をするだけなら、人の心を動かす情熱など持ち得ません。