幸福度が高い人と低い人の違いは何か
幸福度が高い人間と低い人間との差は、幻想にとらわれているかどうかで違ってくる。つまり欠乏の心理に支配されて「足るを知る」を忘れてしまうのだ。
「結婚したら幸せになれる」のではなく、「幸福な人が結婚している」のだ。「結婚したら幸せになれる」などという幻想にとらわれているうちは、結婚もできないし、万が一結婚できてもしあわせにはなれない。そして、自分が不幸なのは結婚できないからだ、自分を選ぶ相手がいないからだ、自分が選ばれるように差配しない仲人が悪いからだ、社会が悪い、政治が悪い......と誰かを責め続けることで欠乏の心理を埋めようとしている。
本人は「誰かのせいにする」という行動をしているつもりかもしれないが、客観的には文句をいっているだけにすぎない。そんな面倒くさい人間を誰が結婚相手に選ぶというのか。「足りない」なら「何を足せばいいのか」と行動することが大事なのである。
とはいえ、未婚者の不幸度が高い理由は決して本人たちだけの問題ではなく、環境がそういう空気を醸成している点も見逃してはいけない。
独身中年おじさん叩きはなぜバズるのか
今では随分となくなってきているとは思うが、ほんの数年前までは、いい歳をして独身のままだと「どこか人間的に欠陥があるのではないか」と冷たい視線を向けられたものである。もしかしたら、今でも地方の田舎にはまだその名残りがあるかもしれない。
さらに、未婚や独身という属性に対する攻撃は今でもネット上でよく見られる。「結婚もせず子育てもしないで自由勝手に生きている人間は社会のフリーライダー」的なものである。皮肉にも、独身人口のボリュームが多くなるにつれ、このような「家族VS対立構造」がより可視化されてきたようにも思う。その顕著な例が「独身中年おじさん叩き」である。
おじさんネタはバズる。2022年、ネット記事周りのタイトルでは「働かないおじさん」というワードが多用された。
50代を過ぎて出世の見込みもないおじさん社員が、仕事もせずにそれでいて高い給料をもらっていることを揶揄する言葉でもある。
おじさんネタ以上にバズるのが、独身中年男性ネタである。婚活ネタの記事でも「40代中年独身男性が20代の相手を条件として提示し続け、いつまでもマッチングしない」なんて記事を出せば、途端に「身の程知らずだ」「キモい」などと非難のコメントであふれかえる。