五代目市川團子に待ち受けるいばらの道

市川猿之助ついに逮捕へ。梨園の“はぐれもの”として歩んできた、澤瀉屋133年のトラブル史_3
(左から)九代目中車、五代目團子、二代目猿翁、四代目猿之助、四代目段四郎
(共同通信)
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三代目猿之助のスーパー歌舞伎は、梨園では猿之助の家の本名が喜熨斗(きのし)家であることから、有名な木下サーカスに引っ掛けて「喜熨斗サーカス」と揶揄された。ところが、やがて観客からは大いに人気を博すようになり、“交互に襲名”の原則通り、弟である四代目段四郎の長男市川亀治郎に四代目猿之助を継がせる襲名が2012年に行われることとなった。

このとき、三代目猿之助の長男・香川照之が九代目市川中車、その長男が五代目市川團子を同時襲名した。これは梨園ではぐれ者の家系である澤瀉屋において、五代目團子にやがて五代目猿之助を継がせるための、ウルトラCだった。

しかしその頃、ある重鎮の幹部俳優と歌舞伎座の楽屋で話していたら、普段は温厚なその幹部俳優は、香川の市川中車襲名に対して露骨な嫌悪感を隠さなかった。三代目猿之助の長男とはいえ、幼少時から踊りや演技の稽古を重ねてきた訳ではない、一介の俳優に歌舞伎の名跡を与えることに対する、強烈な拒絶反応が梨園には底流としてあるのだ。

今回の心中未遂事件では、渦中の猿之助の代役を務めた五代目團子の奮闘ぶりに注目が集まったが、彼の五代目猿之助襲名への途が、未だいばらの道であることは間違いない。

文/谷川建司