「急に総理が逃げ出した」
岸田首相の発言で、緊迫した解散総選挙を巡る攻防はあっけなく終わった。
しかし、実際には今国会は6月16日解散に向けて綿密に舞台が作られていた。
それだけに、岸田首相が当の16日を待たずして、解散の可能性を全否定して舞台を降りてしまったことには、多くの国会議員や秘書、官僚、記者などが拍子抜けとなった。
永田町関係者は語る。
「今回ほど解散に向けてさまざまな伏線が張られた国会はなかった。
実際に解散があると見込んで、選挙に向けての事務所の確保やポスターの発注などを準備していた政治家は与野党ともにおり、秘書の多くは『今年の初夏は忙しくなる』と覚悟して予定を立てていた。
にもかかわらず、最大の山場である16日より前に岸田首相が『解散はない』と宣言してしまったことについて、多くの人は『急に総理が逃げ出した』と受け止めている」
解散に向けて張られたさまざまな伏線とは何だったのか。
天皇皇后両陛下が今月17日から23日にかけてインドネシアを訪問されることが明らかになって以降、国会では16日に岸田首相が衆議院を解散してもいいように着々と準備が進められていた。
解散は憲法で「天皇の国事行為」と定められており、実際に解散する際には天皇陛下がしたためた解散詔書が必要となる。
政府は天皇陛下が外遊中でも、臨時代行を立てれば解散できるという見解を示しているが、前例がないことから、それは現実的ではないと受け止められていた。
そのため「解散をするとしたら16日」というのが与野党の共通認識となっていた。