金銭感覚がズレている高学歴親
さて、米国では、子どもの誕生日に祖父母などの親族が株を買ってあげる慣習があります。よって、子どもにとって投資は身近なものです。お金を自分の力で増やしていくことなど、早くから経済教育を受けます。そうやって金銭感覚が養われていくため、大学に行きたい高校生は自分で奨学金を獲得すべく良い成績を取ろうと必死です。
一方、日本の子どもは「お金はほしいときにほしいだけ親からもらう」「大学は親が行けというから行くけど、特にこれを勉強したいというものはない」などと平気で発言します。塾代や習い事にかかる費用など、月に数万円ものお金を親に払ってもらっている自覚はまったくありません。わがまま勝手に「今日は行きたくないから休む」と言ってしまう子どもは、その習い事1回分の料金を稼ぐための労働がいかほどのものか理解しているようには見えません。
こうなってしまうのは、お金の有り難み、つまり「お金の価値」を、親が子どもに叩き込んでいない、それをやる煩わしさを避けているからです。にもかかわらず、なぜか「これだけ子どもにお金をかけているのだから、見返りとしていい大学・いい会社に入って高収入になってほしい」と期待しています。
お金は湧いてくるもの――そう子どもが思ってしまうかもしれない
この様子は、大きな歪みに映ります。子どもにお金の価値を理解させなくてはいけないのに、高学歴家庭では適切な経済教育をほどこさない傾向があります。親が高収入で金銭的に余裕があるからです。
そんな人たちが口にするのは以下のような言葉です。
「自分が受けた恩恵を子どもには受けさせたい」
「自分は塾に通わせてもらって中高大と私立を卒業したから、子どもにもそれを味わわせてやりたい」
このように自分の良かった経験を子どもにさせたい人もいれば、自分自身が富や学歴を手にするのに苦労した高学歴親のなかには、貧しかったことがトラウマになっている人もいます。彼らはこう言います。
「子どもに苦労させたくない」
「お金の苦労はさせたくない」
前者、後者ともに、子どもの塾代は惜しみません。経済教育を受けなくても成功する子どもはいるのでしょうが、私のところにやってくる親子は明らかにつまずいています。子どもにお金をつぎ込んだことが裏目に出ています。
お金は湧いてくるもの――そう子どもが思ってしまうかもしれないという戒めが、特に足りないようです。