「昭和野球」とはかけ離れたダルビッシュの流儀

【山本由伸の原点】中学3年生時の指導者4人全員が「プロ野球選手になるとは、まったく思わなかった」という平凡な投手だった日本のエースは、いつ覚醒したのか?_2
若き日のダルビッシュが汗を流した「羽曳野ボーイズ」のグラウンド

――チームへの献身という意味では、侍ジャパンの栗山監督が「今回のWBCはダルビッシュジャパンだった」と振り返るなど、「ダルビッシュこそ陰のMVP」という賞賛が絶えませんが、山田会長はどのようにご覧になっていましたか。

あの子は私の誇りです。WBCでの彼の振る舞いを見て、あらためてそう強く感じました。たとえば、宮崎キャンプへの合流時期。彼はきっちりと初日から参加していました。日本の2月はまだまだ寒いですから、自分のコンディション作りだけなら、温暖なチーム本拠地のサンディエゴなどで調整し、大会直前に侍ジャパンに合流したほうがいいに決まっている。なのに、いの一番にまだ寒い宮崎キャンプに駆けつけた。

シャイなあの子のことだから何も説明しませんが、私にはわかります。優勝するためにはチームが一丸にならないとダメだと。そのことがわかっているからこそ、初日からキャンプに合流し、若い選手らと食事をしたり、言葉を交わしたりしながら、自ら率先してチームとしての一体感を作ろうと考えたのでしょう。自分よりもチームを優先するそんな姿勢を見て、あの子を誇りに思いました。

――WBC準決勝の対メキシコ戦、侍ジャパンの円陣の真ん中で声出しをしていたダルビッシュ投手はとても楽しそうで、印象的でした。インタビューなどでもダルビッシュ投手は「野球は強くなることも必要だけど、みんなで明るく楽しくやれることもすごく大切なことだと思っている」と答えています。

WBC直前の宮崎キャンプのニュース映像を見て心打たれたシーンがあります。それはベテランから若手まで、みんな笑顔で練習していたシーンです。私は昭和生まれの古い世代ですから、野球も根性論や上下関係などを重視しがちで、あのシーンは私の知る昭和野球の概念からはかなりかけ離れたものだったんです。

ダルビッシュからは『監督の野球は古すぎます!』とよく叱られるんですが(笑)、あのシーンを見て「ああ、あの子のやりたかった野球とはこういう野球だったんだな」と思いました。そして侍ジャパンの笑顔のど真ん中にあの子がいたことがとてもうれしくてならないんです。