昭恵は、自らも一緒に涙を流しながら、夫を慰め続けた

昭恵は、自らも一緒に涙を流しながら、夫を慰め続けた。

晋三は死の2年前から、晋太郎が癌であることを知らされていたが、これほど早く亡くなるとは考えていなかった。そのため、父親の分まで立ち働いており、十分に話す機会をつい逸していた。その後悔と、父親を失った悲しみと、父親の後継ぎという重責が、激しい奔流のように一気に押し寄せてきたのかもしれない。 

何より、総理への道を目指して弛まぬ努力を続け、そこへ辿り着く一歩手前で病に倒れた父親の無念を思うと、晋三はどうにも居たたまれなかったのであろう。その悲しみが、やがて父親の志を継ぐ、固い決意へと昇華されていったと昭恵は見ている。

昭和35年の安保騒動のとき、幼い晋三が祖父・岸信介の家に遊びに行くと、家の周囲はデモ隊が取り巻いていた。しかし祖父は、子供であった晋三ら兄弟と遊ぶなど悠然としていた。 

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マスコミをすべて敵に回しても、まったく動じなかった

のちに晋三が思うには、祖父には揺るぎない、「自分のやっていることは間違っていない」という自信と信念があった。世論から批判され、マスコミをすべて敵に回しても、まったく動じなかった。晋三は、祖父から、正しいと思ったことをやるときは、決して動じてはいけないということを学んだ。

父親の晋太郎は、晩年、ソ連との国交正常化や北方領土の返還に政治生命をかけていた。そのとき、すでに身体が悪く、肉体的に厳しいなかでソ連を訪問し、ゴルバチョフから「叡知ある解決を考えたい」という言葉を引き出した。その執念は、凄まじいものであった。

晋三は、父親から「政治家として目標を達成するためには、淡白であってはならない」ということを学んだのだ。

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『安倍晋三・昭恵  35年の春夏秋冬』(飛鳥新社)
大下英治
2023年5月18日
1800円
300ページ
ISBN:978-4864109543
『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)がふれなかった
愛と真実の物語!


増上寺で行われた安倍晋三総理告別式で、昭恵夫人が挨拶でこう言った。

「十歳には十歳の春夏秋冬があり、二十歳には二十歳の春夏秋冬、五十歳には五十歳の春夏秋冬があります。(略)政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後、冬を迎えた。種をいっぱい撒いているので、それが芽吹くことでしょう」

父・安倍晋太郎氏の秘書官時代から40年。
安倍晋三・昭恵夫妻をいちばん数多く取材してきた作家・大下英治が初めて明かす
人間安倍晋三と人間安倍昭恵
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