叩きたい人は事実であるかどうかなど気にしない

しかし、そもそもその前提となっている事実が違うということは誰も気にしない。未婚化はおじさんが扇動したわけではないし、親元にいる未婚が未婚化を促進したわけではなく、それは結果である。

また、弱さや甘えで親元にいるのではなく、そもそもずっと昔から結婚するまで親元に住むのが当たり前だったのに、そんな事実は無視されてしまう。叩きたい人にとって、事実であるかどうかなどどうでもよくて(本当の魔女かどうかなんてどうでもいいと一緒)、みんなの安心のための生贄を屁理屈でも用意しないといけないという考え方なのである。

まさに、古代ローマ帝国の礎を築いたユリウス・カエサル(シーザー)の言葉とされる「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない」そのものである。人間は自分が見たいものしか見ないし、たとえ目に入っていても記憶のフォルダーに残らない。信じたくない事実は無視し、信じたいと思う事実だけを脳内に取り入れようとする。心理学において、確証バイアスと呼ばれるものである。

勿論、人間である以上、メディアにいようが、知識人であろうが、何かしらのバイアスを持っているものであり、考え方に偏りがないわけではない。それは仕方のないことであるが、少なくとも事実を隠ぺいしたり、捻じ曲げてまで自分の主張を押し通すために大噓を発信するのは控えるべきだろう。社会問題の責任を特定の誰かの属性の責任に押し付ける行為は、差別行為につながる危険性も秘めているからである。

#1『未婚者が既婚者より幸福度が低い傾向はなぜおきるのか…「結婚したらしあわせになれる」と思っている人は結婚できない』はこちらから

#3『親ガチャの真実…身長・体重は9割、知能・学業成績も5、6割は遺伝という衝撃! 生まれてくる時期や場所、親は選べない。けれどいつまでもその場所にいるわけではない』はこちらから

#4『自分の写真や声の録音を嫌う人ほど「俺は俺のことがわかっている」と勘違いしている…自称ブレない男の面倒臭さとうさん臭さとは』はこちらから

『「居場所がない」人たち: 超ソロ社会における幸福のコミュニティ論 』
(小学館新書)
荒川和久 
2023/3/31
1034円
224ページ
ISBN:978-4098254439
居場所がなくても幸福と思える生き方とは?

2040年には、独身者が5割に。だれも見たことのない、超ソロ社会が到来する。
ますます個人化が進む中、私たちは家族や職場、地域以外に、誰と、どこで、どうつながれば、幸福度を高められるのか?
また、親として、人生の先輩として、これからその時代を生きる子どもたちに何を伝えられるのか?

家族、学校、友人、職場、地域・・・・安心できる所属先としての「居場所」は、年齢を重ねるごとにつくるのが難しくなり、時に私たちは「居場所がない」と嘆く。
また「そこだけは安心」という信念が強すぎるがゆえに、固執し、依存するという弊害も生まれる。

では、居場所がなく、家族や友達をもたず、一緒に食事をする相手がいないのは、「悪」なのだろうか?常に誰かと一緒でなければしあわせではないのだろうか?

社会の個人化も、人口減少も、もはや誰にも止められない。私たちに必要なのは、その環境に適応する思考と行動だ。著者が独身研究を深掘りした先に示すその答え=〔接続する〕関係性、〔出場所〕という概念とは?

結婚していてもしていなくても、家族がいてもいなくても、幸福度を上げるための視点とヒントに満ちた一冊。
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