人の行動のほとんどは無意識化によって制御されている
「人生は選択の連続である」とは、シェイクスピアの名作『ハムレット』の中の名台詞である。
私たちは、日々生きている中で、どこに出かけ、どんな食事をし、誰と会うのかを自分の自由意志によって選択していると思っている。日常のことだけではなく、どんな学校へ行き、どんな仕事につき、どんな相手と結婚するのか、も自分の選択と意志によって決定したと思っている。
しかし、昨今の科学においては「人間には自由意志などないし、意志によって選択などしていない」という説が有力となりつつある。
人の行動のほとんどは無意識化によって制御されていて、意志より先に行動している。
行動した後、その行動を正当化するために「これは、自らの自由な意志によって選択したのだ、なぜならば......」とその行動を弁護する後付けの理屈をつけ足す。
うまく理屈付けできない時は、その行動や環境によって生じた感情を整理することができず、モヤモヤとした気持ちになるだろう。理屈付けされないと安心できないからである。
親ガチャは残念ながら存在する
そんな時、誰かが「それってこういうことでは?」と理路整然と言語化してくれると、途端に納得して安心するだろう。腑に落ちるという感覚である。
そういった心の隙間を突いてくるのが詐欺師やカルト宗教の洗脳であったりするのだが、ここでは、心理メカニズムの話や「人間には自由意志は存在するか」という高尚な哲学的な話をしたいわけではない。要は、環境が大事だという話なのだが、環境とは自分の外側からだけのものとは限らない。
「親ガチャ」という言葉が話題となったが、親の経済環境が、その子の未来を大きく決定付けるのは残念ながら事実である。親の所得の多寡が子の進学を左右し、進学が子の年収に作用し、年収が結婚に大きな影響を及ぼす。
ある意味、親が貧乏であれば、子の選択肢の幅が狭められるということでもある。選択肢がある以上、それは子が自分で選択も決断もしているという反論もあるかもしれないが、選択肢が1個しかなければ選択も決断もありはしない。その子の今を決めたのは、その子の意志でも選択でもなく、親という環境によって導かれただけである。