意外と知られていない、多摩地区内の3エリア


まず、自分がこれまで生活してきた土地とその年数をざっくりと勘定してみよう。

生まれてから幼稚園までの約6年間を東京・国分寺市。
小学校低学年の頃の3年強を愛知県・春日井市。
小学4年生から結婚するまでの21年間を東京・東久留米市。
結婚してから3年弱を神奈川県・川崎市。
引越しして東京都・文京区で約6年。
さらに引越し、現在までの約14年を東京都・世田谷区で暮らしている。

まとめると、二番目に長いのは文京区と世田谷区を合わせた“都内”=23区内で20年だが、それを凌ぐ長い年月を過ごしたのが“多摩地区”だ。
国分寺市と東久留米市を合わせた27年間もの年月は、これまでの人生の半分以上で、しかも肌感覚的により長く感じる幼少期から青年期までをずっと多摩で過ごしたのである。

今でも仕事で新しく知り合った人としばらく話したのち、お互いに出身が多摩地区だと分かると「おやおや、地元仲間じゃないですか」と急に親しみを感じて打ち解けた気分になることがある。
東久留米を離れてもう23年になるが、やはり気持ち的にはいつまでも“多摩人”なのだ。

話はさらに細かくなるが、多摩といっても広いので、同じ多摩地区出身でも微妙なニュアンスの違いがある。
僕個人の場合、八王子市とか町田市とか稲城市とか福生市とか奥多摩町とかの出身と聞いても、「ふーん」という感じで、そこまで強い親近感は湧かない。
一方、東久留米市はもちろん、清瀬市とか西東京市とか小平市、小金井市、東村山市あたりだったらもう、「じゃあ、どこ中?」と聞くレベルで同郷意識が湧いてくる。
かといって、すぐ近くに隣接しているのに埼玉県新座市出身者には「お、近いっすね」くらいで、軽く流してしまうんだけど。

単純に距離的な遠近もあるが、多摩地区出身者はエリアごとにさらに強い同郷意識でつながっているのではないかと思う。
公立の小中学校に通っていたら、部活の練習試合などで同じエリアの学校と交流する機会があったり、高校進学の際、まずエリア内で適した学校を探したりすることから、そうした意識が醸成されるのではないかと思う。

初めて聞く人もいるかもしれないが、多摩は北多摩、南多摩、西多摩の3エリアに分けられ、僕が生まれ育った東久留米市や国分寺市は北多摩地域に入る。

北多摩とは、東久留米市、西東京市、武蔵野市、三鷹市、調布市、狛江市、清瀬市、東村山市、小平市、国分寺市、小金井市、府中市、東大和市、立川市、国立市、武蔵村山市、昭島市の計17市。
南多摩は稲城市、日野市、多摩市、町田市、八王子市の5市。
西多摩は羽村市、福生市、青梅市、あきる野市の4市と瑞穂町、日の出町、奥多摩町の3町、そして檜原村が含まれる。

東京都のエリア区分/illust AC
東京都のエリア区分/illust AC

北・南・西を合わせて“三多摩”とも言うけど、多摩地区に縁がない人には耳なじみのない言葉だろう。
市町村の数で言えば北多摩が圧倒的に多いものの、比較的小さな市が多い北多摩に対し、南多摩や西多摩は、東京都で最大の奥多摩町や2番目の八王子市をはじめ、大きな市町村が多く、総面積順に並べると、西多摩、南多摩、北多摩の順になる。

多摩を3エリアに分けるのは、昔の行政区分の名残だ。
多摩地域は、明治維新の廃藩置県後、試行錯誤の末に北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の3つの郡が成立した。
そのうち行政区分として現在も生きているのは西多摩郡のみで、北多摩郡と南多摩郡は1970年から1971年に消滅している。

それからすでに半世紀以上が経過しているので、多摩地区に北多摩と南多摩というエリア区分があることを知る人も少なくなっているが、ある程度の年齢以上の多摩地区出身者は、多摩川の以北か以南かで分けられる北多摩と南多摩の間に、歴史にも裏打ちされた明白な壁のようなものを感じるのである。