「長崎に降ったものと成分が違うの?」

「被ばく者」は本当に救われたのか 続・「黒い雨」訴訟 第3回 長崎「被爆体験者」の何重もの苦しみ 広島との分断を読み解く_3
原告本人尋問に先立ち、長崎地裁前で集会をする被爆体験者訴訟の原告ら。中央は岩永さん=2023年1月16日、長崎市内で筆者撮影

精神疾患に限定された援護措置と、地図の不合理に抗う被爆体験者たち。彼らにとっても、広島の「黒い雨」訴訟は転機になると思われた。岩永さんは、広島高裁で原告側が全面勝訴した時のことを振り返る。

「内部被ばくを明らかにしてくれたと思いましたよ。雨に打たれようが打たれまいが、被爆者だと判断してくれた。だから、私たちも当然認められると思ったんです」

改めて説明しておくと、この訴訟では従来の援護対象区域の外側で雨に遭ったと訴える原告全員を「被爆者」に認める判決が、一審、二審とも下された。原告がいた範囲は爆心地から8.5~29.5kmと、被爆体験者よりもさらに遠い。それでも、「空気中に滞留する放射性微粒子を吸引したり、地上に到達した放射性微粒子が付着した野菜を摂取したりして」、内部被ばくした可能性があると判断されたのだ。岩永さんのように直接雨は浴びていなくても、被爆者だと認められた原告もいた。

この判決確定を受け、広島では救済対象が拡大。約30㎞離れた場所でも雨に遭ったことが確認できれば被爆者として認めるという、新制度が策定されたのだった。

しかし、新制度の適用は広島に限定された。長崎は最高裁で敗訴していることに加えて、「黒い雨が降ったことを示す客観的資料がない」とされ、協議継続となった。

岩永さんが証人尋問で述べた通り、長崎にも雨や灰の証言がある。証人尋問では他の3人が、「灰や燃えかすが降り、雪のように積もっていた」「雨がパラパラと降り、畑の作物にも灰が積もった」などと当時の状況を述べた。

さらに、長崎県も専門家会議を設置し、2022年7月に報告書をまとめた。被爆地域の外側でも雨が降ったと指摘したが、これも国は突っぱねている。

筆者が「広島の『黒い雨』訴訟を取材してきました」と自己紹介した時、岩永さんは身を乗り出してこう言った。

「私ね、広島の黒い雨のことが知りたいの。長崎に降ったものと成分が違うの? そうじゃないでしょう。雨も灰も空中にも、全部に放射能があったんじゃないか、って言いたい」