就活の自己責任化は、必ずしも「悪」ではない

――では、どうすれば、就活の自己責任化を和らげることができるのでしょうか。

就活の自己責任化は、必ずしも悪いとは言い切れないのが難しいところです。というのも、就活は一部の就活生にとって、自己実現のツールでもあるからです。

実際に、近年の就活本では「まずは受かりやすい企業の内定を獲得して、少しずつ難易度の高い企業にチャレンジしていこう」といった、複数内定を前提とした就活テクニックが紹介されています。複数の内定を獲得することは、自らの能力を証明することと同じなのです。

――就活は「自己責任」であり「自己実現」でもあると。

そうです。数多くの内定を獲得できれば、自己実現が達成される。その一方で、就活に失敗すれば、自己責任でつらい思いをしなければならない。この両者はコインの裏表の関係であり、簡単に切り離せるものではありません。これと同じ構図が、就活生の「画一化」にも見て取れます。

“就活 つらい”の原因は1990年代に定着した自由応募方式のせい!?  自己責任の就活がもたらす選択の自由と内定格差_2

――リクルートスーツなどによる就活生の見た目の画一化は、たびたび議論を呼びますよね。

個人的には、似たような色のスーツを着て、同じような見た目で就活することに疑問がありますし、企業側にも「個性のない画一的な人材を採用したいんですか?」と問い質したくなります。ただし、リクルートスーツに「就活生のレベルを一定水準に保つ」という機能があるのは事実です。

驚くかもしれませんが、50年ほど前の就活本には「面接の待合室でタバコを吸ってはいけない」「訪問先の受付の女性を口説いてはいけない」といった内容が書いてあります。そうした注意書きがあるということは、かつては非常識な行動をする就活生が少なからず存在したのでしょう。

それを思えば、就活生を画一化して一定水準まで引き上げることも、一概に悪いとは言えないわけです。

――『就活メディアは何を伝えてきたのか』では、就活の自己責任化にあわせて、就活に関するビジネスが拡大していく過程も書かれています。

自己責任化に伴う就活生の不安や焦りに寄り添う形で、就活メディアや就職予備校などの就活サービスが発展していきました。

例えば就活本では、1990年代以降から「内定」をタイトルに掲げる書籍が急増します。「就職」ではなく「内定」なのがポイントです。就活の競争が激しくなった末に、どのような仕事に就くかではなく、数多くの企業から内定を取るためのテクニックや戦略を説く就活本が重宝されるようになりました。

最終的に就職できるのは1社ですから、多数の内定獲得を目的にするのは就活の趣旨に反します。しかしこれも、就活生が求める情報を就活メディアが提供するようになった結果だと言えるかもしれません。