俳優の仕事は、見てくれる人がいて成立している
──争いごとや暴力を嫌う静也を演じられましたが、『静かなるドン』を令和の今、公開する意味はどんなところに感じていますか?
静也を演じて感じたのは、意見の違う相手を力でねじ伏せるやり方はどうなんだろうということ。世界情勢の問題でもそうですが、本当に武力行使でしか解決できないことなのか、改めて考えました。
もちろん、静也のやり方が100%正解とも思いませんが、暴力に頼らない違う解決方法があるんじゃないか。この時代に公開されるからには、そういうメッセージも受け取っていただけたら、作った意味があると思います。
もちろん、笑える部分もたくさんあるし、エンターテインメントとしても楽しんでもらえると思います。
──静也はカタギになりたいと願いながらも、「どこまで行っても2代目の息子」と言われることに悩んでいました。伊藤さんもさまざまなイメージを持たれることがあると思います。周囲からの評価や意見に、窮屈さを覚えることはありますか?
ご意見や評価は真摯に受け止めています。ただ、たまに「いや、違うんだけどな……」と思う瞬間があるのも事実です。いろいろなことを言われすぎて、自分で自分の存在がわからなくなってしまったことも。
それが嫌だとか、否定的な意見を持っているわけじゃないんです。ただ、作品としてたった1分のシーンでも、大勢の大人たちが汗をかきながら命と時間をかけて作っているわけで。それが「ちょっと微妙だな」と言われると、やっぱり悔しいと思うこともありました。
その反面、作品を見て「よかったよ」と言われると本当に嬉しいですし、その言葉で僕自身が救われたこともあります。どんな意見であれ、作品を評価してもらえるということはありがたいことだと、今は思えています。
──その心境の変化は、いつ頃から?
本当にここ数年だと思います。最初の頃は「あの役はあいつじゃない」とか言われると「くそ!」って思ったりもしたんです(笑)。でも今は、そういう意見も受け止めていかないと、ただの自己満足になってしまいますから。見てくれる方々がいて成立しているお仕事だということは、ここ数年で特に実感するようになりました。
もちろん、もらう意見すべてに応えることはできないので、自分の中で腑に落ちたものを取り入れたり、逆に、まったく腑に落ちないものをちょっと追求してみたり。そういう感じでバランスを取るようにしています。