千早茜×村山由佳 直木賞受賞第一作『赤い月の香り』について話す_11

――そもそも千早さんがシリーズ化を決めたのは、どうしてだったのですか。

千早 毎作、自分の中で課題を持っていたいんですが、シリーズだと課題にならないんじゃないかと思っていたんです。でも「シリーズ」っていう課題もあるのかなっていう。

村山 そうだよ。シリーズのほうが難しいよ。

千早 シリーズ化するなら人気のあるものがいいのかなと思い『透明な夜の香り』にしたんですけれど、書いてみて、私はこの世界がめちゃくちゃ好きなんだ、と気づきました。書いていて楽しいし、ほっとするんです。
 小川洋子さんが『透明な夜の香り』の文庫解説を書いてくださったんですけれど、それがびっくりな解説で。普通の解説のような「千早茜はこういう人間である」とか、「幻想的な文章が」といった表現がほぼなくて、ただただ、小川さんがあの洋館まわりを散歩して、見たものを書いているような文章で。

村山 なんて贅沢なの。

千早 それを読んだ時に、「あ、私もこの場所が好きだ」と思いました。ここに戻ってこられてよかったです。

村山 そういう作品をひとつふたつ持っていたら、すごく苦しい時にも乗り越えられると思う。自分の立ち位置がわからなくなった時、「でもここに私の好きな世界があります」っていうものがあると、安心な気がする。

千早 私は結構、朔に似ているので、朔と一緒に考えている感じがあるんです。前作では私も朔と一緒に執着と愛着の違いを考えていたし、今回は正しい執着について考えていました。自分が思っている愛情は加害ではないのかとか、自分は加害者にならないと言えるのか、とか。そういう怯えみたいなものを、朔に重ねて、自分の好きな場所で考えることができる。その点でも、書いていて楽しいですね。

村山 いやあ、読者にとっても幸せな時間でしたよ。息を吸って吐くかのように、つまずくところなく読める。本当に美味しい水みたいにするするするする入ってくるの。

千早 美味しいお水は、ゆかさまの小説のことですよ。上質なお水。『ある愛の寓話』を読んだ瞬間、いい香りのお風呂に入っているような感じで、「あー、幸せ」って。

村山 『透明な夜の香り』と『赤い月の香り』を通して読んだ後、私、ホーム社のサイトで連載しているエッセイ「記憶の歳時記」の最終回を書いたんですよ。チハヤの文章で勉強させてもらった後で書いたからだと思うんですけど、「あれ、私、今までこんなにタイトな文章を書いたことなかったな」となって。自分でもすごくびっくりしました。

千早 私の文章、タイトですか。

村山 タイトだよ。全部タイトだったらハードボイルドになると思うんですけれど、チハヤの場合はふくよかなのにタイトっていう。

千早 そうですか。発見です。それにしても、あのエッセイは毎回、結構切り込んだことを書いていますよね。

村山 そうだね。最終回は、自分の男付き合いの問題点について赤裸々に書きました。

千早 ああ、怖い怖い(笑)。

千早茜×村山由佳 直木賞受賞第一作『赤い月の香り』について話す_12

――二人のやりとりを聞いていると、時々千早さんが姉で、村山さんが妹という印象を持ちます(笑)。

千早 いやいや、私にとってゆかさまはずっと先を行く、背中を追いかけている存在です。

村山 これは言ってもいいのかな。チハヤに「直木賞受賞おめでとう」って電話した時、「少しだけゆかさまに近づくことができました」って言ってくれたんだよね。「そんなふうに思ってくれてるんだ」「いや、でも私はいつも同じ地面に立っている気がしているし、リスペクトしているんだよ」と思いました。

千早 正直、自分は直木賞のような大きな賞をとるような作家ではないとずっと思っていましたが、でもやっぱり、ゆかさまの背中を追いかけたいっていうのはありましたね。

村山 チハヤの今回の受賞は本当に嬉しいんですけれど、でも直木賞ってなんだろう、とも思うんですよね。この間テレビを見ていたら、何十年も前に直木賞をとって選考委員まで務められた大先生がいまだに「直木賞作家」って紹介されていて、のけぞりました。それより先の賞もあるのに、やっぱり知名度では一番だし、そのせいで道を踏み誤る人もいるでしょう?

千早 私、『しろがねの葉』が時代小説なので、時代小説の書き手と思われないかという懸念がちょっとあったんです。でも、Twitterでいろんな人が「『しろがねの葉』もいいけれど、私は千早作品ならこっちも好き」などと挙げてくれていて。ありがたいなって思っています。

村山 そういう確かな目を持ったファンがつく作家ですよね、千早茜というのは。

千早 どれだけ私が偏屈なことを言っても、お手紙には「千早さんが幸せに心地よく生きていけることを願っています」みたいなことが書かれてある。

村山 生きづらい人だって思われてるのかな(笑)。

千早 見守られているなと感じます。こういう人間なので、自分がこの先、ゆかさまのように後輩の作家になにかできるかといったら、できない気がする。

村山 たぶん、チハヤがゴーイングマイウェイを貫いていれば、みんながその背中を見て、「ああいうふうになりたい」ってついてくるんだと思うの。

千早 私、編集者さんから「これからは千早さんが編集者を育ててください」と言われたんですよね。新しく編集者になった子たちに、こんなふうに作家さんとコミュニケーションをとって、こんなふうにひとつの作品を作りあげるんだとか、その達成感とか、成功体験を与えてほしい、って。

村山 それは一緒に真剣に仕事をしていれば、自然に伝わることだから。私は、今は担当編集者も年下ばかりで、「去年入社しました」と言う人もいる。でも、その人たちが渾身の力でくれる助言は、私に見えていなかった死角を教えてくれる。私が彼らを助けるんじゃなくて、あくまでも、いつまでたっても返せない恩を全身に浴びて書いているような感じがします。

千早 今までは居心地のよい環境で仕事をさせてもらってきたんですが、今後はそういう環境を自分で作っていかなきゃいけないんだなって気持ちです。

千早茜×村山由佳 直木賞受賞第一作『赤い月の香り』について話す_13
『風よ あらしよ』村山由佳
集英社文庫 (上・下)定価990円(税込)

――千早さんは『小説すばる』出身なわけですが、今、『すばる』に「傷痕」という連作短編を連載されていますよね。

千早 去年くらいから、本当に仕事がしやすくなっていて、楽しいです。編集者さんが、私が書きたいものによって媒体を探してくれるようになったんです。集英社に「こういうものが書きたいです」と言ったら、「ああ、『すばる』がいいかもしれません」って。今後も書きたいもの重視で、媒体を選んでいけたらいいなって思っています。

村山 その時、どういうものを書きたいって言ったの?

千早 「傷が書きたい!」って言ったんです。『しろがねの葉』で長いものを書いたから、短編でキレのあるものを書きたい、いろんな種類の傷が書きたいって言ったら、「じゃあ『すばる』かな」っていうことで。様々な傷が入った短編集にして本にしようかと思っています。

村山 振り幅を大きく確保できるのはいいことですよね。時代小説も、今後二度と書かないと決めているわけではないでしょう?

千早 ないです。昔の商人の話を書きたいなとも思っています。お金儲けをすることと、人の道を外れないようにすることって、たぶん、どこか繋がっている気がするんですよね。そういう話を、十年くらいかけて書きたいなと思っています。

村山 また「今書け」って編集者さんに言われるんだよ。『しろがねの葉』の時のように(笑)。

千早 いやあ、私、本当にビジネスに疎いので、いろいろ調べてからでないと無理。ゆかさまもまた近代の話を書いていますよね。

村山 『小説すばる』に「二人キリ」という、阿部定の話を書いています。たまたま阿部定の特集の番組にコメントゲストで呼ばれたんです。それがきっかけで、「なんだろう、この女は」って思ったんです。『風よ あらしよ』で書いた伊藤野枝はまだ自分と似ているところがあったけど、阿部定に関しては、似ているところといえば男の人とくっつきあうのが好きな点くらいで、あとは全然違う人間なの。それなのに、愛おしくなっちゃったんですよね。彼女の中になにか渦巻くものがあるのに、世間では「阿部定」という記号にされて、その前後の彼女の人生に関しては誰も見向きもしていない。番組に出演する時に資料としてわたされた阿部定の尋問調書がものすごく詳細で。「これさえあればなんでも書けるぜ」と思ったんですけど、いざそれを小説にしようと思ったら、フィクションの入り込む余地がなくて。

千早 なるほど、資料が詳細すぎて。

村山 しょうがないので、外側に虚構の枠組みを作って、いま書いています。

千早 楽しみにしています。今日はありがとうざいました。これからも相談とか、秘密の話をしていけたら嬉しいです。いなくならないでくださいね。

村山 お互い大喰らいだからたぶん大丈夫だよ(笑)。

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「小説すばる」2023年5月号転載

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