「標語」が招く致命的な結果
そしてこういった引用句は、標語(モットー、スローガン)に変質することがある。漢字圏ではその傾向が顕著だ。第一次世界大戦後のドイツで再軍備を主導したハンス・フォン・ゼークトはこの「標語」を自著『一軍人の思想』で取り上げ、「自己の頭脳をもって思考し得ない人々にとっては必要欠くべからざるもの」と喝破した。
とくに軍人の世界では、標語は致命的な結果を招くこともあると彼は警告する。それが悪意から出たものでなくとも、思考を欠いたものであるために、数千の人命が犠牲になるからだという(『一軍人の思想』篠田英雄訳、岩波新書、一九四〇年)。
この『一軍人の思想』の和訳本は昭和15年に出版されており、多くの軍人も手にしたことだろう。それなのに日本ではモットーやスローガンが野放しになり、冷静であるべき軍人までが巻き込まれて言葉に酔ってしまい、本来あるべき思考というものが奪われる結果になってしまった。
たとえばここに「皇軍無敵」という標語がある。これも当初は「そうあって欲しいものだ」という願望だったはずだ。ところが始終目にしたり、口にしたりしていると、そして実際に連戦連勝が続くとなると、本当に「皇軍無敵」だとの思い込みに発展する。そこまでならばまだ救いがあるが、さらに「無敵なのだからなにをしても勝利する」と飛躍してしまうと大変だ。よく考えもせずに戦略方針までをねじ曲げてしまうから、収拾が付かなくなってしまう。
文/藤井非三四 写真/shutterstock
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