メガバンクの花形キャリアからの挫折
日本一過酷な山岳レースの初日。
やがて陽が沈み始めた頃、ナンバー26・坪井伸一(54歳)が、先を進むナンバー2・野寄真史らから遅れて薬師岳山頂部へ来る。50代以上の選手全7人の中では最速のペースだ。息を切らして祠の前に進む。
「すいません、帽子被ったままで失礼します」
頭を下げて、柏手を打つ。
2日目に中止となった 2021年大会の番組では、オープニングとエンディングに坪井が登場した。坪井は「裏回し」、言うなれば陰の主役だった。
「計算尽くの生き方なんて、もう嫌だ。ここからは、自分のために100パーセントやっていきたい」
メガバンクで勤続32年になる坪井。長らく、花形の企業融資畑でやってきた。自宅も35年ローンで川崎に買った。諸々、順調だった。だが39歳の時。
「抱えて抱えて、いっぱいいっぱいになって、自分がもうストレスでダメになった。寝てても、寝言でうなされてました」
妻によれば、寝ながら誰かと具体的な金額をあげてやりとりをしていたという。そして、会社に行きたくなくなった。近所の心療内科で診断を受け、初期の鬱症状と告げられた。その後、待っていたのは部署異動。ラインから外されてしまう。悶々とした。
家族との時間を持つことができるようになったのはよかった。しかし……、
「同僚と会いたくないという気持ちは、正直あった。『あなたは法人担当ラインから外れて、気楽な身分になったから楽しめるんでしょう』。自分をそう見てるんじゃないか、と」
そうこうするうちに、自分のこれまでの人生はなんだったのかと思いを巡らせるようになった。中学時代は陸上部に所属し、自分としても満足できる成績を出した。だが高校で挫折し、2年生の時に逃げるように退部した。
「表向きの理由は『自分はここでやめて、大学受験を頑張る』というもの。言い訳であり、中途半端でした。受かりそうな大学に適当に目標を下方修正し、受かりました。景気がよく、就職もできました。内定をくれるなら、そこで頑張ればいいかと。でも、勝ち取った感じじゃない。自分をごまかしての現実逃避を、ずっと繰り返しているんじゃないかな」