メディアがセルビアの実状を報じない理由
木村 メディアの問題で言えば、西側の記者やカメラマンの取材のやり方も雑で酷いものでした。国連安保理決議1244条によれば、コソボは空爆後もセルビアの領土となされていて、隣国北マケドニアとの国境は閉鎖されていました。しかし、ほとんどのメディアはこの北マケドニア国境を越えて入っていました。理由は単純でこの方が近くて安いからです。セルビアの首都ベオグラードからだと6時間かかるが、北マケドニアのスコピエからだと2時間でコソボの首都プリシュティナに着く。
しかし、禁を冒してこのルートを選択すると、違法入国扱いとなってセルビア側には移動できないのです。つまりコソボ=アルバニア側の一方的な情報だけつまみ食いして垂れ流すことになる。バカバカしいですが、そういう費用対効果に絡み取られたメディア側の怠慢によって特定の民族がどんどん悪者にされていった。
藤原 どんどん、分かりやすく簡単なストーリーになってしまうんですね。そういう意味では今回、木村さんが著作の中で「黄色い家」を掘り起こしたことは、すごく具体的な、誰もが認めざるを得ないファクトの中から、まずは考えましょうという問題提起に思えます。
木村 藤原さんは、ナチスの傀儡だったクロアチア独立国の絶滅収容所、ヤセノバツ収容所記念館にも訪問して所長とも意見交換されていましたね。ヤセノバツ収容所は大戦中に約83000人のセルビア人が殺された場所ですが、クロアチアの初代大統領のトゥジマンはこの歴史を修正していきました。
藤原 ヤセノバツの所長とはかなり話し込みました。歴史を研究するクロアチアの学生たちとも3日で1000キロ以上を移動して調査を重ねました。驚くべきことにトゥジマンはクロアチア独立国を「歴史的熱望の表現」と評価していたのです。
木村 クロアチアで調査された通り、ユーゴスラビアからのクロアチアの独立には統一ドイツの後押しが深く関わっています。ナチスの亡霊が、本国では出ていけないが故に、クロアチアというかつての傀儡国をもう一回復活させた。コソボにおいては米国がバックについています。だからコソボ独立記念日には民族融和を謳ったコソボ国旗ではなく星条旗が翻ります。ユーゴスラビアの崩壊には大国の思惑がかなり蠢いています。
プーチンのウクライナへの侵略は絶対に正当化できませんが、コソボを見てきた彼が、NATOの軍備が隣国に出来るということに対する脅威を感じたというのは間違いないことでしょう。現在、コソボではNATO空爆の始まった3月24日を祝うべき日とされています。それによって殺された無辜なる人々がたくさんいるのに。
日本のメディアが毎年3・24を、コソボ独立に向けての一里塚として、何の批判的な視座の無いままに伝え続けていることに私が憤怒したのも、本書の執筆の動機でもありました。機を同じくして、新しい情報としてこの「黄色い家」の映画「Dossier Kosovo The yellow House」がついに完成したということです。
藤原 東京大空襲や原爆を体験した日本は、同じように空から降って来る大きな悲劇に対する想像力はかなりあるはずです。NATOやアメリカの価値観をそのまま踏襲してスポークスマンになる必要はありません。
写真/AFLO