チンギス武人を貫き、
遙か西域の巨きなる湖水に臨む
〈頭ひとつ、出ていた。〉という一文から、北方謙三『水滸伝』は始まった。宋禁軍武術師範王進が、人波の中で見かけた魯智深の後ろ姿である。魯智深は「替天行道」の思想を広めるオルガナイザーの役割を負った人物だ。彼の働きにより多くの人間が梁山泊に集結していく。宋王朝に対する叛逆は道半ばで潰えるが、『楊令伝』、『岳飛伝』と続く中で、登場する人物も増え、舞台となる地も「中華」を超えて大きく広がっていった。
この『チンギス紀』もまた、先行する三つの大長編シリーズと連なる物語である。チンギスことテムジンの出生の秘密や、彼が佩する「吹毛剣」の由来などからも、自明なことであるが。それにしても魯智深の後ろ姿からここまで、いったいいくつ春秋を重ねたのだろう。親から子、子から孫へと何代を経てきたのだろう。
『チンギス紀十六 蒼氓』でもチンギスは、ホラズム・シャー国の大軍と対峙している。モンゴルの遠からぬ侵攻を憂慮した国王が、四百名を超すモンゴル使節団を皆殺しにした。充分な準備が整う前に、モンゴルを戦争に引きずり込むのが狙いだった。チンギスはそれを承知で軍勢を西に向けたのだ。モンゴルの版図は広がり続け、大陸の東端に達し、チンギスは自らの目で大海を見た。そして今はアラル海やカスピ海に臨んでいるのだ。
だがその一方で、時は誰にも等しく流れていく。戦死する者、病を得る者など、チンギスの身内も例外ではない。チンギスは言う。
「俺は、武人だ」
「ずっと、武人だった。武人を取りあげたら、俺はただの年寄りだ」
現在十六巻の『チンギス紀』も、そしてチンギスの生涯も終盤を迎えている。老いを自覚しながら、武人であることを貫くチンギス。その勇姿を目に焼き付けることにしよう。
さらに戦場においてはジャムカの息子マルガーシ、兵站の面ではタルグダイとラシャーンの「息子」トーリオなど、かつて覇を競った人物の係累である新しい世代との交わりの行く末も、次巻以降に描かれるはずだ。楽しみはまだまだ終わらない。