感情にかたちを与える
SNSで毎日のように起きる「炎上」や「バズり」を見ていると、つくづく人間は感情で動く生き物なのだと思う。それだけに、感情をどう扱うかは、けっしてどうでもよいことではない。
本書『「鬱屈」の時代をよむ』は、言葉を手がかりとして、感情と付き合うためのさまざまなヒントを与えてくれる、ちょっと類を見ない本だ。
なぜ言葉かといえば、言葉こそは、この捉えがたいものに、かりそめにも形を与えてくれるからだ。例えばモヤモヤした気持ちを「好き」「嫌い」と言葉にすれば、輪郭もはっきりして、納得したり「ちょっと違うな」と考えたりもできる。一言で表せなければ、言葉を探ったり重ねたりする必要もある。
書名にあるように、この本は「鬱屈」をテーマとしている。それは、新型コロナウイルスのパンデミックや、ロシアによるウクライナ侵攻など、人の生命や生活に直接的間接的に影響を与え、しかも終わりの見えない出来事の渦中に置かれた現代の気分でもある。
とはいえ、自分が渦中にいる状況は見通し難い。そこで著者は、およそ百年前の世界に私たちを誘う。第一次世界大戦、スペイン風邪、関東大震災に見舞われた時代だ。こうした出来事は、平時の世界の見方を大きく揺るがせ、人はそれをなんとか言葉で捉えようとする。その様子を、当時の小説、新語辞典、詩などを手がかりに探ろうというわけである。
そこでは、夏目漱石や萩原朔太郎、吉屋信子といった文学史でもお馴染みの作家や詩人に加えて、散文詩集『噫東京』のように日頃目にする機会のないものまで、実に多様な文章が引用・吟味されていて、ユニークなアンソロジーにもなっている。
著者による行き届いた案内と読解に導かれて、「鬱屈」を表そうとするさまざまな試行錯誤に接するうちに、これはまるで他人事ではないのだと腑に落ちる。
そう、感情を適切に言葉にすることは、自分を知るためにも、感情に翻弄されないためにも、他の人びとと共に生きる上でもないがしろにできない一大事なのだ。
誰もがいとも簡単に言葉を拡散できるいまこそ、読んで拳々服膺しておきたい一冊である。