”時の政権を震撼させるような国家機密のスクープを取ってみろよ”

これに対する西山さんの反論はこうだった。電文を直接紙面化すると必ずや取材源が特定され迷惑がかかるのは必定であり、その選択肢はなかった。ただ、「電信文の直接引用は避けながら、肩代わりの構図を匂わせる記事は何本か出した。1971年6月11日付け朝刊には、『沖縄協定文まとまる 慰謝料400万㌦』との一面トップの記事を書いているし、6月17日の沖縄返還協定調印を受けて翌6月18日付け朝刊には、『米国 基地と収入で実取る 請求処理に疑惑』という解説記事を掲載、『果たして米国側がこの見舞金を本当に支払うのだろうかという疑惑がつきまとう』とまで書いた」

野党に流したことについてはこうだ。「新聞記者なのになぜ書かなかったのか、とその時も言われたが、私は、国権の最高機関たる国会に最後に審議を委ねたんだから、何も悪いことしてない。誰一人、利用したわけでもないし、金が一銭も動いてるわけでもない。国会の審議で最後は白黒つけろっていうことは、新聞記者の選択としては、一つも間違ってない。僕が入手した600万㌦の密約は氷山の一角で、これを皮切りに国会で追及すれば氷山全体が出てくると思った」

いずれも首肯できる釈明だと、私は受け止めた。西山さんの真骨頂はこの後に出てくる言葉である。「戦後において国家機密が日本のメディアによって暴かれたことありますか、一回もないよ。西山太吉だけですよ。国家機密の暴露は。最初にして最後、情けないですよ」

メディア職場の後輩たちよ。何だかんだ批判をするのもいいが、俺のように時の政権を震撼させるような国家機密のスクープを一度でも取ってみろよ、それこそが記者の最重要なモラルではないのか、と。若干挑発的ではあったが、そこが彼の最も言いたいところ、若きメディア人たちに伝えたかった点ではなかったのか。

その2は、沖縄返還交渉における政局史観であった。なぜ池田勇人政権ではなく佐藤栄作政権が沖縄返還を担ったのか。なぜあれほどまでに多くの密約を結ばざるを得なかったのか。以下解説してくれた。