大川小学校で起きたことは特別な災害による被害じゃない。日本全国で起きている様々な事故事件と共通する。

もし自分が親の立場だったら……『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』寺田和弘監督インタビュー【東日本大震災から12年】_11

──津谷弁護士事件でも、助けられたはずの命が、警察官の緩みで失われてしまった。そして、それを実証するのに、警察官からは全然、情報が出てこない。森友公文書改ざん事件で亡くなられた近畿財務局の赤木俊夫さんの訴訟でもそうですけど、知りたいことが隠蔽されてしまう。地方から中央まで、なんでこんな似通った形になるんでしょうか?

「岩波書店から出た『遠い声をさがして―学校事故をめぐる”同行者”たちの記録』(石井美保著)にある、京都の小学校で起きたプール事故の事案を人類学者の方が寄り添ってまとめられた本がありますが、あれを読むと、大川小学校と同じような問題が浮かび上がります。だから、この大川小学校の事件というのは、一見、74人の子供たちの命が失われた特別な災害と思われがちなんですが、本当に日本社会の全体で起きている様々な問題と共通する。

何度も言いますが、大川小学校の事件は、ずっと取材されているメディアの方が多いので、映像のプロ、記録のプロに任せてもよかった。でも、吉岡弁護士は、外部の方の力を借りず、ご遺族の皆さんで検証しなさいというスタンスを最初から最後まで崩さなかった。これは、吉岡弁護士、、齋藤弁護士だけでなく、遺族の方たちにも本当に覚悟がいる。信頼がお互い結べていないと、できないことなんですよね」

もし自分が親の立場だったら……『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』寺田和弘監督インタビュー【東日本大震災から12年】_12

──私が映画を見終えて心揺さぶられたのは、震災から1か月後の最初の小学校の説明会の時には、親御さんたちから出てくるのは苦しみと怒りを帯びた叫びの声で、ときに感情がほとばしった瞬間も出てきましたが、裁判を経て、記者会見などでご自身たちの声を正確に伝えようとする中、自分たちの子供たちのためだけでなく、今後の子供たちの未来のために、プライベートな感情からパブリックな責務へと感情を変換されたことでした。

寺田監督が映画で強調されているのも、語り部となって、自らの体験を社会と共有されている姿ですよね。


「そこは、カメラを回しながらというよりも、ご遺族の方たちが撮ってきた映像記録を見ていく中で、感じました。だから、今回、僕は、時系列にすごくこだわったんです。ドキュメンタリーというのは、言葉が悪いですけど、時系列を入れ替えすることによって、感動や共感を得られるように編集することがかなりあるんですよね。

でも、今回はもう徹底的に時系列順で構成することにこだわっています。それはなぜかというと、今まさにおっしゃったように、彼らがどのように生きていたか、感情の変化が時系列を並べることで、よくわかるので。そこは観客の方も同じように感じていただけると思います」

裁判に参加しなかった人にも事情がある。同じ石巻市内でも、裁判の背景を未だ知らない人がいる。

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──家族を失った苦しみや悲しみは時を重ねるしかない、時が薬とよく言いますが、まだ、カメラの前に出て来られない方もいらっしゃいましたか?

「先ほど吉岡弁護士は非業だと僕は言いましたけど、吉岡さんは、原告の保護者の方たちにとにかく、マスコミの取材に応じるようにと言われていました。マスコミは敵ではない、とにかく想いをまず知ってもらわないといけないから、きっちり対応するようにっていうことを徹底してお願いしたんですよね。前に出にくい方、出ない方もいらっしゃいますけれど、 基本的には皆さん、記者会見の場に、話す、話さないにかかわらず、出て来られています。

一方、原告団に参加されていないご家族もいます。裁判に参加しなかった方の中には、行政の話し合いの中で心が折れてしまって、裁判に立ち上がれなかった方が圧倒的に多いんですけど、それ以外に、自分の仕事が行政側であるために、参加できなかった方もいます」

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──裁判の結果は、広く知られるように2016年の仙台地裁、2018年の仙台高裁、2019年の最高裁による上告棄却で、二審判決が確定という形になりました。このドキュメンタリーの意義はどのようなものだと思われますか?

「石巻市全体で言うと、多くの方々が身内を亡くされ、なぜ、大川小学校の命を落としたお子さんだけ、一部の人たちが裁判をしたのかという批判は一部で未だ、根強くあります。でも、それは、映画で見て頂くような事実を知らないからなんですよ。真実を知るために求め続けて、応えられず、やむを得ず裁判を起こしたというプロセスを知らないから、ネガティブな感情を持つ方がいるので、まずは遺族の方たちのプロセスを見てもらうと。

この映画を見て、果たしてまだ、非難することができるだろうか、そう私は思っています」

まだまだ聞かなくてはいけない声、遺さなくてはいけない声がある。

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──寺田監督はテレビの報道などを通し、ずっとアイヌの先住権問題などを取り上げていますが、声がなかなか社会に届けにくい人たちを追い続ける原動力は何ですか?

「僕がやっていることは、吉岡弁護士がそうですけど、僕の周囲で小さな声を世間に伝えていこうと活動している人たちがいて、その声を届けているだけなんです。だから、僕はスピーカーだと思っているんです。僕自身は訴えたいことはないんだけど、頑張っている方々の声を届けるのが、僕の役割かなと思っています。

アイヌの先住権の問題はずっと追い続けていますが、最近、僕のいとこが台湾のタイアル族であることを知って、身近にそんな人がいることを知らなかったので、まだまだ聞かなくてはいけない声、残さなくてはいけない声があるなと思っています」

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参考文献:「水底を掬う ― 大川小学校津波被災事件に学ぶ」(信山社)

「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち

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2011年3月11日、東日本大震災にて、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれ、全校児童の7割に相当する74人の児童と10人の教職員が亡くなった。ラジオや行政防災無線で津波情報は学校側に伝わり、スクールバスも待機していた。にもかかわらず、唯一多数の犠牲者を出した要因は何だったのか。

わが子を失った親たちの問いに、行政は一貫して、責任の所在を明らかにしない。真実を求め、石巻市と宮城県を被告にして国家賠償請求の裁判を提起した原告団の親たちの10年にわたる真相追及の挌闘と、心の変化を辿るドキュメタリー。
文部科学省選定作品、東京都推奨映画、映倫「次世代への映画推薦委員会」2月推薦作品

監督 :寺田和弘
プロデューサー :松本裕子
撮影 :藤田和也、山口正芳
音効 :宮本陽一
編集 :加藤裕也
MA :髙梨智史
協力 :大川小学校児童津波被災遺族原告団、吉岡和弘、齋藤雅弘
主題歌 :「駆けて来てよ」(歌:廣瀬奏)
バリアフリー版制作:NPO メディア・アクセス・サポートセンター
助成 :文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会

製作 :(株)パオネットワーク
宣伝美術 :追川恵子
配給 :きろくびと

2022 年/日本/16:9/カラー/124分

©2022 PAO NETWORK INC.

★新宿K’s cinemaほか、全国順次公開中。

『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』公式サイト

撮影/高村瑞穂

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