東京で生きていたら、この役は絶対に理解できない。田舎暮らしへと生き方のスタイルを変えた運命的な出会い
『川っぺりムコリッタ』というタイトル、とても不思議な響きがします。荻上直子監督のオリジナルの小説を映画化したこの作品。ムコリッタとは仏教用語の”牟呼栗多(むこりった)“から来ているそうで、時間の単位を表すそう。1昼夜は30牟呼栗多、「しばらく」「少しの間」「瞬時」の意味を持つと言います。
松山ケンイチさん演じる主人公、山田は詐欺事件に加担し、服役して出て来たばかり。ある海辺の町のイカの塩辛工場に就職し、新しい生活を始めます。新しい住居は平屋のアパート、ハイツムコリッタ。最初は大家の南さん(満島ひかり)や隣人の島田さん(ムロツヨシ)、同じ敷地内に住む溝口さん(吉岡秀隆)父子と距離を置いて暮らす山田でしたが、何かと理由をつけては山田の部屋を訪ね、あわよくば、山田の炊いた白米を食べたり、お風呂に入ったりと、図々しい島田さんとの交流を通して、無機質だった彼の生活にひとつずつ、鮮やかな生活の色や匂いが増えていきます。
『かもめ食堂』をはじめ、映画の中の食の描き方に細やかな演出をしてきた荻上監督ですが、今作では島田さんの野菜作りに山田が加わることで、生きること、食べることの根源的な欲求について見つめ直す内容にもなっています。この映画の出演を機に、東京から転居し、暮らし方を変えた松山さんにお話を伺いました。
松山ケンイチ(Kenichi Matsuyama)
1985年生まれ、青森県出身。2005年に『男たちの大和/YAMATO』で一躍注目を集め、続く『デスノート』『デスノート the Last name』のL役で(ともに06)で大ブレイク。2016年には『聖の青春』で第40回日本アカデミー賞優秀主演男優賞、第59回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞。近年の主な映画出演作に、『怒り』(16)、『ブレイブ‐群青戦記‐』(21)、『BLUE/ブルー』(21)、『ノイズ』(22)、『大河への道』(22)などがある。公開待機作に主演作『ロストケア』(23)がある。
目の前に畑があって、誰かと一緒に作物を栽培する作業を共有して、隣近所の人と飯を食うとかしないと山田役はとても無理だと思った
──荻上監督は2017年にイタリアで開催された第19回ウディネ・ファーイースト映画祭に『聖の青春』で参加されている松山さんを会食で観察して、この『川っぺりムコリッタ』の山田役をオファーしたそうですが、その時のことを覚えていらっしゃいますか?
「もちろんです。映画祭に参加している監督の皆さん、俳優の皆さんとご飯を食べる機会があって、そこで初めて荻上さんと会って、お話ししました。この会食の直前、僕は現地で荻上さんの作品、生田斗真さんと桐谷健太さんが主演の『彼らが本気で編むときは』を観てめちゃくちゃ感動して、その感想は伝えたんです。ただ、参加している人、全員が初対面だったので、ちょっと合コンみたいであんまりしゃべれなかったんですよ(笑)。そのコミュニケーションが取れていない感じが山田役に合っていると思われたのかもしれません」
──観察された結果、脚本が届いたとき、どのような感想を持ちましたか?
「脚本を初めて読んだ時、僕は東京で暮らしていたんですけど、これは東京で生きていたら絶対に理解できない部分があると思いました。目の前に畑があって、誰かと一緒に作物を栽培する作業を共有して、隣近所の人とご飯を食べるとかしないと山田役はとても無理だと思ったんです。この感覚を習得するためには、自分が田舎に行かなきゃいけないって思ったんですよ。まあ、田舎で暮らす生活を選んだのにはいろいろな理由があるんですけど、この映画のオファーもきっかけのひとつになりました」
──実際、田舎で暮らしてみて感覚は大きく変わりましたか?
「東京では発見できなかったことをたくさん発見しました。田舎ではご近所の人たちとのコミュニケーションがすごく大事っていうこともそうだし、お金のやり取りではなく、労働力のやりとりが大切だったりする。労働力って言葉はあんまり好きじゃないですけど、自分の労働でご近所と足りないところを補完しあう関係性は健康的だなと思いました。
東京で生活する上で、人のつながりというのは希薄だった部分も多くて、僕は山田が島田さんや南さんや溝口さんと結ぶようなご近所付き合いというのはできなかった。東京に住んでるときに出会った人たちは意見もちゃんと持ってるし、頭も良いし、できない部分や弱い部分を強さでカバーして、それでもできない部分はお金で解決するっていう感じだったんですけど、田舎ではまた違った意味合いで生きています。
自分の理想を追い求めるというより、みんなで助け合って生きて行く感じ。みんなで田植えしながら、歌いながら生活して、一日がんばるぞという感じです」