「障がいを持った子どもを受け入れられない。そんなお母さんは一定数いますね」
漫画『コウノドリ』への取材協力の経験もあるNICU(新生児集中治療室)勤務の新生児科医、今西洋介氏はそう話す。
厚労省によると、先端医療によって生命が維持される在宅“医療的ケア児”の数は2005年の約1万人から2019年には約2万人へと倍増している。医療が発展し、救われる命が多くなった一方、障がいを持つ子どもの数も増加したことがもうひとつの問題を引き起こしている。
「自分の子どもが障がい児だという現実を受け入れられるまでの期間は、親御さんでそれぞれ違いますが。やはりなんやかんやでみなさん、自分の手元で育てられる。でも少数ですが、受け入れられない親御さんもいます」(今西氏)
〈相模原障がい者施設殺傷事件から7年〉夜寝ることもままならない障がい児の母親…一方で「一生懸命生きようとしてくれるのが私の癒し」育てて気づいた”苦労すること=不幸”ではないという価値観
7月26日で相模原障がい者施設殺傷事件から7年。障がい児の命の重さとはなんなのか。自身も障がい児の母親であるジャーナリストが障がい児を取り巻く人々の声を集めた。
これまでに15件の障がい児の養子縁組を成立

医療的ケア児である恵満ちゃん
日本で唯一、障がい児の養子縁組を斡旋するNPO法人みぎわの理事、松原宏樹さんはそういった親御さんの心の声に耳を傾けてきた。みぎわの活動については前編で紹介した。
みぎわには、年間約50件の相談が寄せられる。そして、これまでに約15件の養子縁組を成立させてきた。
松原さん自身も4年前にダウン症で心疾患の大手術を受けた大和くんを養子縁組で引き取り、その後、染色体異常の医療的ケア児の恵満(えま)ちゃんも松原家にやってきた。恵満ちゃんは寝たきりで、経口摂取ができず、胃ろう(胃へと直接食べ物を流し込むチューブ)から栄養を摂っている。
「親御さんにとっては待望のお子さんだった恵満ちゃんですが、産まれてから障がいがあることがわかりました。
それでも産まれてからしばらくは親御さんは病院に来ていたようですが、しばらくしたら来なくなって、医療費も払われなくなりました。
僕が初めて会ったのは、恵満ちゃんが1歳半のころ。サイズが合わない服を着せられていたので、服を買って持っていったんですよね。
両親が来なくなって、恵満ちゃんがNICUの一番奥に“物”のように置かれていたのが忘れられません」
意思疎通は難しいけれど、彼らなりの表現がある
「我が子の障がいをどうしても受け入れられない親御さんは乳児院にあずけます。そのため、乳児院に来る乳児の一定数に障がいがあるともいわれています。
しかし、濃厚な医療的ケア児は一般的な乳児院に入れず、医療機関に併設されている乳児院に行くこともあります」(今西氏)
乳児院を退所すると児童養護施設に移る障がい児も少なくない。2020年に厚労省が発表した「児童養護施設入所児童等調査」によると、障がいがある子どもの30%は乳児院、37%が児童養護施設に入所する。

大和くんを松原さんにあずける際に送られた実母からの手紙
病院や施設にあずけた子どもたちの親の対応はさまざまだ。面会に来る親、迎えに来る親もいるが、一度も親に会いに来てもらえない障がい児がいる現実はたしかにある。ある施設で勤務する職員が親に見放された子どもたちについてこう吐露する。
「社会はこういった子どもたちがいることをもっと知るべきだと思います。私たちもケアしますが、限界がある。親や家族の面会もなく、一日、天井を見て過ごす子どもたちを見て、何とも言えない気持ちになる。
たしかに意思疎通が難しいかもしれません。でも、彼、彼女なりの表現の仕方がある。それがわかって喜びに変わる支援者もいるんです」
医療時ケア児の介護で崩壊する生活
松原さんは医療的ケア児を育てる難しさをこう話す。
「恵満ちゃんは、本当に入院も手術も多くて、ずっと付き添い入院していたんですよね。それで私自身も心を病んでしまって。本当に医ケア児(医療的ケア児)の親御さんの大変さが身に染みました」
障がい児の養子縁組斡旋活動をするなかで、松原さんは現状をこう嘆く。
「今でも多くの電話をいただきますが、全員は救えない。辛いですが、緊急性が高いものから、養親とつなげていっていますが、行政も対応が遅いので僕がやるしかないのです」
社会と医療の発展の狭間で苦しむ親子たち。筆者も多くの親子の姿を見てきた。
「ごはんの時間よ」と、その医療的ケア児の母親、Aさんは慣れた手つきで、子どものお腹にある胃ろうのボタンをあけ、注入器でミキサー食を流し込む。
Aさんの子どもは胃ろうや気管切開など多くの医療的ケアが必要で、Aさんは夜寝ることもままならない。
「子どもは自分で寝返りがうてないので、床ずれができないように夜中に何度も起きて、体の向きを変えてあげるんです」(Aさん)

松原さんの奥さんと大和くん(左)、恵満ちゃん
Aさんの平均睡眠時間は約3時間~5時間だ。床ずれを防ぐための体の向きを変えるだけでなく、夜間は呼吸器をつけているためアラームで目を覚ますことも多い。
「この子が産まれてから、ゆっくり眠れたことなんてないですよ。仕事は当初、育休や介護休業を使ってどうにか続けていたのですが、医療的ケア児のあずけ先が全然なくて、体力面で限界がきて何度も倒れてしまい、会社も辞めざるを得なくなった。
今は夫ひとりの収入に頼っていて家計は正直厳しい。でも、我が子だから受け入れる、受け入れざるを得ないんです。
ただ、子どものために、仕事、余暇、自分の人生を犠牲にしている、と感じているのも事実。私たちはささやかな生活を楽しみたかっただけなんですが……」(Aさん)
Aさんは「いかに睡眠を確保するか。それを考えてばかり。自分の人生、いったい何なのかなって」と諦めにも似た言葉を漏らしていた。
「苦労すること=不幸せ」ではない
育児はいずれ終わる。一方で、障がい児育児は介護でもあるので、母親の人生を長く束縛する。だから、障がい児を受け入れられない親御さんを簡単に否定すべきではない。
そんな母親たちのために松原さんは、障がいを持ち、親を失った子どもたちの“家族”になるために、「小さな命の帰る家」を開設し、これからも多くの子どもたちの受け入れを行う予定だ。
松原さんは「社会が生きにくさをつくってしまってるんですよね」と嘆く一方で、ささやかな幸せがあることも強調する。
「私にとってはこの子どもたちはかけがえのない存在で、大きな苦労はありますが、とても幸せです。『苦労すること=不幸せ』ではないと思います。苦労し途方に暮れることがあっても幸せなのです。何をするかが人生ではなく、誰とするかが大切で、私は大和と恵満とともに生きることに価値を見出しています」
前出のAさんも障がい児を育てることをこうポジティブに受け取る。

大和くん、恵満ちゃんと松原さん一家
「うちの子は生死の境をさまようことが多々あったので、 “生きている”という当たり前だと思っていたことが、どれだけありがたいことなのかを知ることできました。
一生懸命、この子が生きようとしている。それが私自身の癒やしになっているのも事実なんです」
今西氏も続ける。
「親御さんの価値観はバラバラ。
例えば、胎児は妊娠22週0日を過ぎれば早産でも新生児医療で助かる可能性がある。そんな子どもを私たちは全力で蘇生しますが、1%でも障がいが残るならいりませんという親もいる。一方で、障がい児のお子さんをかわいらしいと感じて育てている親御さんもけっこういますよ。
ダウン症でも自立して生活しているお子さんは多いから、“ダウン症は障がいではない”ととらえる医療関係者もいます。
ただ、お母さんが子育てによって孤立してしまう事態は避けなくてはいけない。孤立するとキャッチアップが難しいから、そういったサークルにお母さんをつなげることが大事だと思います」
親御さんの負担が少しでも軽くなり社会から取り残されないように、支援制度の整備が一刻も早く進むことを願ってやまない。
取材・文/中西美穂
集英社オンライン編集部ニュース班
新着記事
あの直木賞作家が、20年以上にわたる週刊文春「顔面相似形」コーナーへの投稿をやめた理由
異例の告発から2か月…渦中の防衛大学校・等松春夫教授が「決意の声明文」を公開。「防大の未来を見据え、互いに忌憚のない意見を出し合うために…」
防衛大学校、改革へ
【こち亀】犬がデタラメにかけた番号で通話料金が42万円…コードレス電話機導入で大騒ぎ!?
