麻布競馬場(以下、麻布) 児玉さんの『江戸POP道中文字栗毛』(以下、江戸POP)は「よみタイ」で連載されているころから読んでいたんです。
児玉雨子(以下、児玉) わぁ、ありがとうございます!

“都会コンプレックス”はいかにして生まれるのか? 「“文化資本がないから東京出身の金持ち育ちに勝てない”というのは、行動しない地方出身者の免罪符」〈児玉雨子×麻布競馬場〉
作詞家・小説家である児玉雨子氏の新刊『江戸POP道中文字栗毛』(集英社ノンフィクション編集部)が、9月26日に発売された。その刊行を記念して、同書にも登場する『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』の作者・麻布競馬場氏との対談を実施。さまざまな角度から、両氏に“都会コンプレックス”について語ってもらった。
児玉雨子『江戸POP道中文字栗毛』スペシャル対談(前編)
神も仏も滑稽に。江戸文学のポップな懐の深さ

麻布 僕は受験勉強の申し子なので、教科書で取り上げられるような古典の名作は一通り読んでいたんです。でも、江戸POPで取り上げられている作品のことはほとんど知らなくて。
おそらく、受験生が読むような古典は、ある種のフィルターを通ったものなんですよね。「品性のフィルター」というか。濾過する前の江戸文芸作品には、こんなにポップな作品があったのか、ということにびっくりしました。
その中でも特にすごかったのは、千手観音の手を貸し出す話。
——1785年の黄表紙(※1)『大悲千禄本(だいひのせんろっぽん)』(芝全校作・北尾政演画)ですね。商売人が千手観音にお願いし、腕を切り落として「手を貸す」商売を始める話で、戦で腕を切り落とされた武将や遊女、染め物師などさまざまな人が腕を借りに来る荒唐無稽なストーリーが繰り広げられます。
児玉 『忠臣蔵』のような話はドラマや映画で何度もこすられてきたけれど、金儲けのために千手観音の手を貸し出す話はお茶の間で観られないですよね(笑)。
麻布 本文中にも「千手観音という聖なる存在の卑俗化」と書いてありましたけど、聖と俗の対比が半端ない。ぬか漬けを漬けるくらいならまだしも、千手観音の腕を性交に使うなんて……発想がすごい。
児玉 江戸POPの本文ではオブラートに包んでいるんですけど、元の『大悲千禄本』に下ネタもなくはないですね。言葉遊びが散りばめられていて、歴史や伝説を元ネタにした笑いどころも多いので、教養のある大人向けの作品なんです。
麻布 「人生に影響を与えよう」とか「泣かせよう」といった意図がなく、ただおもしろいだけという江戸の「滑稽」が詰まっている作品だと書いてありました。それってすごくいいですよね。バカでくだらなくておもしろいって、ひとつの価値だと思います。
現代では「泣ける」とか「共感できる」といったエンタメがヒットしますけど、そういうものばかりじゃなくてもいいですよね。江戸文化の豊かさを知りました。

新刊『江戸POP道中文字栗毛』の著者・児玉雨子さん

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』の著者・麻布競馬場さん
(※1)江戸時代中期から後期に生まれた、しゃれや風刺を特徴とし、絵を主として余白に文章を綴る草双紙
みんな“自分語り”を始めてしまう「アザケイ懺悔室」
——江戸POPの最終章「この座敷に花魁は永遠に来ない 十返舎一九『東海道中膝栗毛』と都会コンプレックス」には、麻布さんの著書『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(以下、このタワ)が登場します。
児玉 『東海道中膝栗毛』を読んだときに、「麻布さんの小説を読んだときの感覚と一緒だ……!」と思ったんです。『このタワ』に出てくる話って、実は上京物語だったり、立身出世物語だったりと、今までにあるストーリーの型にはまっていたりもするんですけど、モチーフや語り方、細部の描き方が新しく、文体も痛快でした。
もしかして、これまでの文芸作品のさまざまな要素が結実したのが、『このタワ』なのではと思いました。

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)
麻布 今までの文芸作品がたどり着いたのがここって、めちゃくちゃ悲しいですね(笑)。僕の小説って、話の「型」としては今までにもあったと思うんですよ。僕は自作の感想をめちゃくちゃ検索して、嫌なこと言ってくるアカウントをリストアップしてるんですけど……。
児玉 うわー、最高です(笑)。
麻布 「東京/田舎の解像度が低い」みたいなことはよく言われていて、中には「フィッツジェラルドの焼き直し」みたいなことを言ってくる人もいます。
そりゃ江戸時代の文学作品まで遡れば、共通する要素も見つかりますよね。ただ、広告など他のクリエイティブ業界も知っている身としては、文芸畑の方々って、作品の新しいところを見つけて評価してくれる傾向があるのを感じます。
児玉 焼き直しというより、換骨奪胎だと思いますよ。麻布さんの作品って、「自分語り」を引き出す力がありますよね。私はそれを「アザケイ懺悔室」って呼んでるんですが(笑)。
同時に、痛いところを突かれちゃう気持ちもわかります。それでいうと、私は「僕の才能」という話がつらい……。
——学業、漫画、バンドなど何をやっても中途半端で、30歳で最後の宣伝会議賞に応募しようとする地方出身者の話ですね。主人公は指定校推薦で明治大学に入る、という設定でした。
児玉 私は明大卒なので、あの雰囲気がすごくわかるんですよ。バンド名に「ザ・早稲田落ちズ」ってつけちゃう、「学歴自慢」ならぬ「学歴自虐」も痛々しくて懐かしいです。
これを読んで、「麻布さんは人の心を持っていないのか?」と思いました(笑)。こんなに的確に心の傷を抉るなんて。というか、麻布さんは慶應卒なのに、明大生ことをわかりすぎてません?(笑)
麻布 大学時代、東京六大学すべてに友人がいたんですよ。そのおかげで、サンプリング元がたくさんできたんです。
児玉 “私立文系あるある”が、コワイくらい詰まってますよね。麻布さんのことを知らなかったときは、チームで執筆しているのかと思っていました。「目がビー玉みたいに虚ろで、性格のいい金持ち」とか、本当にいるんですよ。

麻布 ああ、「小中高と◯◯学園です」みたいな人で、いますよね。
児玉 はい……私、それです。同級生は基本的にみんな優しいんですよ。でも、海洋プラスチックの影響で卵を産めないウミガメのためには泣けるけど、日本の貧困層についてはなんの共感も寄せられないような感じ……。
麻布 おー、パンチラインですね(笑)。
——麻布さんは、東京出身ではないんですよね?
麻布 はい。西日本の田舎出身で、大学で東京に出てきました。
——その環境では、まず東京の私立大学に行くこと自体がレアケース?
麻布 そうですね。そもそも地方は国公立信仰が厚いと思いますし、僕の通っていた高校から慶應に行く人はほぼいなかったです。大学でも同じような境遇の人はそんなにいないんですけど、自分で言うのもなんですが、僕は社交的な性格なんですよ。それで空気読まずにいろいろな人に話しかけて、大学内外に友人ができました。
——東京出身者に対して引け目を感じることはありましたか?
麻布 いやあ、それはなかったですね。
子どものころは、地元の大学に進んで、地銀に勤めるのが夢だったんです。幼稚園のころに積み木で現金輸送車を作っていたくらい。僕の地元では、いわゆる「成功」と言われる選択肢は、それくらいしかなかったんですよね。
でも進学で東京に出てきたら、「父が商社に勤めていて」みたいな人がいて、「なるほどな!!」と視野が広がりました。そこで東京を「キッザニア」に見立てて、いろいろ楽しめばいいんだと考えたんです。東京は打席がたくさんあるのがいいところですよね。
でも、『このタワ』に出てくるような人って、打席に立たないんですよ。なぜか、勝手に引け目を感じてしまう。大学の同級生にも、「内部生たちは自分たちなんか相手にしないんじゃないか」といって壁をつくってる外部生がいました。「どうせ僕なんか」の精神で、自ら分断をつくってしまうんです。
そうすると、似たような人間で固まって、就活のときにOB訪問とかもできなくて、30歳くらいで芝浦のタワマンを恨めしそうに見る人間になるんですよ。

「『文化資本の差』は腐っている地方出身者の免罪符」
児玉 麻布さん自身は、都会コンプレックスがあるんですか?
麻布 インタビューなんかだと、リップサービスで「あります!」って言ったりするんですけど、実は全然なくて。僕は自己責任論者のマッチョイズムサラリーマンなので、「文化資本がないから東京出身の金持ち育ちに勝てない」といった意見は、行動していない人の言い訳にしか聞こえないんです。
だって、東京に生まれただけで自動的に文化資本が注入されるわけでもないし、大学で東京に出てきたとしても、そこからの時間で自己再教育すれば巻き返せることもあるでしょう。「文化資本の差」って、行動しないで腐ってる地方出身者の免罪符みたいになっているな、とも思います。
児玉 私は横浜の、日本全体から見ると経済的に余裕のある家庭に生まれましたが、自分も含め、みんながみんな文化資本にも恵まれていたかと思い返すと、ちょっと疑問が残ります。大学で同級生になった地方出身のガッツがある人のほうが、よっぽど聡明で有能だったような……ああ、でもこれ言い方が難しいな……。
麻布 江戸POPの最終章に書いてある、「都内の家賃が高い」と悩む地方出身の同級生に対する「じゃあ、23区外に住めばいいじゃん」って発言、パンチラインですよね(笑)。東京に執着がないからこそ言える言葉だ。
児玉 いや、今はわかるんですよ、「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」のような、相手の気持ちを汲み取らない発言だってことは……。私ってたぶん、『このタワ』に出てくる地方から上京してきた人の敵、つまり「持っている」寄りの人間なんですよね。

麻布 完全に敵です!
児玉 『このタワ』の「東京クソ街図鑑」に「いっそ多摩川を渡って新丸子のアパートにでも住むのがいいよ(笑)」というディスがありますよね。私はずっと、「多摩川を挟んで東京と川崎に分かれる」っていう感覚がありませんでした。「電車の車窓から見える景色、きれいだなー」くらいの印象で。
麻布 あはははは(笑)。僕は一時期毎日、多摩川を渡って東京と川崎を往復していましたよ。あれは大きな溝に感じました。
児玉 『このタワ』を読んで、「東京」なる言葉のイメージの答え合わせをしたような感覚になりました。
【後編】「東京出身/成功していない、という層は可視化されていないんです」「港区女子が幸せとは限らない」児玉雨子と麻布競馬場が着目する、まだ物語になっていない都会の人々
文・インタビュー/崎谷実穂
写真/山田秀隆
編集/毛内達大
江戸POP道中文字栗毛
児玉 雨子

2023年9月26日発売
1,650円(税込)
四六判/176ページ
978-4-08-788095-3
大注目の作詞家・小説家が読み解く、破天荒な江戸文芸の世界!
・平賀源内が書いた異種ヤンデレ純愛幼馴染ハーレムBL?!
・俳諧の連歌はJ-POPに似ている!
・『東海道中膝栗毛』のイキリ散らしたクズ男たち? ……etc
新感覚文芸エッセイ12本に加え、芥川賞候補にもなった著者による3本のリメイク短編小説を収録。
「この本が近世文芸に触れるはじめの扉になればうれしいです」(はじめに)
【本書で紹介する江戸(近世)文芸】
▼「蛙飛ンだる」→「蛙飛び込む」?編集を繰り返す松尾芭蕉
▼風来山人(=平賀源内)による衝撃の異種ヤンデレ純愛幼馴染ハーレムBL『根南志具佐』
▼千手観音の手をめぐるドタバタコメディ、芝全交『大悲千禄本』
▼井原西鶴『世間胸算用』が映す、カネに振り回される人間世界の切なさ
▼江戸時代のスラング盛沢山!恋川春町『金々先生栄花夢』
▼南杣笑楚満人『敵討義女英』が応えた女性読者のニーズ
▼アンドロギュノス×心中の奇想、曲亭馬琴『比翌紋目黒色揚』
▼式亭三馬が老若男女のリアルな姿を描破する、『浮世風呂』の〈糞リアリズム〉
▼遊女たちのシスターフッド、山東京伝『青楼昼之世界錦之裏』
▼麻布競馬場作品に通じる十返舎一九『東海道中膝栗毛』の〈都会コンプレックス〉
【ヤングジャンプコミックス】この部屋から東京タワーは永遠に見えない(上)
著者:川野倫、原作:麻布競馬場

2023年10月19日発売
715円(税込)
B6判/192ページ
978-4-08-893030-5
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