いじめで学校を辞めた友達からの、忘れられない一言
私が嫌がらせに対して全く反応しないことがつまらなくなったのか、そのうち私へのいじめはなくなりました。ほとんどのクラスメイトは自分が標的になるのを恐れ見て見ぬふりをしていました。
私は自分が辛い目に遭うことは耐えられるけれど、他の人が同じような目に遭うことだけは黙って見ていられません。助けを求めている人を見つけると「そういうのよくないよ、やめよ」といじめグループにひとりで立ち向かっていました。
そんなとき、いじめや学校内での理不尽な対応に、いつも笑いながら「私は大丈夫」と言っていた我慢強い友達が学校を辞めてしまったのです。周りの人には全然違う理由で辞めると言っていましたが、あの子を救えなかったときの悲しさを、今でもふとしたときに思い出します。
最後にあの子と会ったとき、どんな気持ちで私に「ありがとう」と言ってくれたのか。無理して笑いながら話してくれた日のことを今も忘れられません。
このエッセイを書くにあたり、昔の話を母から聞いて知ったのですが、小学生の頃にも同じようなことがあったそうです。障がいを持った友達がいたのですが、同級生とトラブルになることも多かったため、周りの人の対応はあまり優しいとは言えませんでした。
そのとき私はどんなことをしたのか覚えていないのですが、担任の先生に「いつもなぎさちゃんが庇ってくれて感謝しています」と母は言われたそうです。
また、宿題が早く終わらず祖父にこっぴどく怒られている兄を見て、「お兄ちゃんをいじめるなぁー!」と祖父を叩きにいくような3歳児が私でした。ちなみに、親族で祖父を叩いたことがあるのは後にも先にも私だけ。当時の祖父はいわゆる亭主関白だったので、周りの家族は唖然。何をしてくれるんだ!って感じですよね。
そんな中、「3歳児から見てもおかしい状況なんだから私も心を入れ替えなきゃ、しっかりしなきゃ」と母は勇気を貰ったそうです。
こんな性格だったので必要以上に人間関係にエネルギーを費やしていましたが、その代わりに、私の周りには自然と心優しい人たちが集まってきました。私を大切に想ってくれる人たちの幸せをこれからもずっと願っています。
文/青山なぎさ 編集/西中賢治 写真/本人提供