100年経っても色あせないチャップリンのように

「ここが時代のボーダーライン」断ち切るものに向き合う時期が来ている――斎藤工が映画『イチケイのカラス』で向き合う時代の光と闇_5

――今、映画だけではなくドラマやCMにも多くご出演されていて。斎藤さんは、ご自身が映画からもらった力を次の世代が生きるための力に還元したいという思いを持っていると思うのですが、仕事に向き合うときの最大のモチベーションは何ですか?

「次世代の未来のため」というのは嘘ではないんですけど、聞こえが良すぎるっていう自責の念がうずくので、なんとも言えないんですが(笑)。自分が生まれて41年、過ごしてきたこの時間は、時代の変わり目で、何かが終焉していく段階だというのは明らかなんですよね。

生きづらい倫理観が続いてきたこの時代に寄り添った人間として、それを終わらせる責務があると思っているんです。僕らができることとしては、次世代のエネルギーに相乗りするのではなく、イニシアチブを次世代に渡すこと。そして1から作り直してもらわないと再生しないというのは、ここ数年、映像業界だけではなく、いろんな組織の動きを見ていて強く感じるんです。

でも、そんな心配が必要ないくらい、若い世代は新しい感覚を持っていて。親戚や友人の子どもたちと接するたびに、ここが時代のボーダーラインなのかもなって思います。自分が小さい頃はこうだったっていう考え自体が狂言で、今の世界の不具合の源なのかもしれないですよね。なかなか前向きな言葉が出てこなくて申し訳ないですが(笑)。

――(笑)そうですか? 新しい世代のために、前向きにバトンを渡すということですよね。

そうですね。映画もどういう形で残るのかはわからないですけど、今回の『イチケイのカラス』の完成披露試写で大勢の方が集まった空間を前にすると、協力して静寂を生み出して一緒に一喜一憂するという空間は、映画館という場所にしかないと思いました。あの空間に、明日からまた現場に向かうために背中を押された気がします。

年末年始に、親戚の子とチャップリンの初期の作品を何本か観たんです。子どもたちが、腹がよじれるぐらい笑っていたんですよ。チャップリンが作ったエンタメが、100年経っても色あせないとわかったことも、大きな希望でしたね。