CDバブル終焉が「アニソンの力」を浮き彫りにした

ここまで紹介したように、60年代から90年代にかけてアニソンとJ-POPアーティストの距離感は徐々に狭まっていったのだが、1990年代にはミリオンヒットを生み出す大物アーティストがアニメ主題歌を手がけることはまだまだ珍しく、彼らがタイアップするのはTVドラマやCMがほとんどだった。

では、いつ決定的なシフトチェンジが起こったのか。そこには2000年代の「CDバブル崩壊」が大きな影響を与えていると言って間違いないだろう。

宇多田ヒカルがアニソンの概念と業界のしがらみを消滅させた!?  J-POP最先端アーティストはなぜこぞってアニソンを手がけるのか_1
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CDの売り上げは1998年にピークが訪れて以降右肩下がりを続け、2000年代には「CD不況」が叫ばれるようになった。その流れの中、音楽業界は「CDではなくライブ」を合言葉に、収益モデルを変化せざるを得なくなったのだ。

そんな時代に注目されたのが、アニメ業界とそのファンカルチャーだ。アニメには「円盤(CDやDVD等のフィジカルメディア)」をファンアイテムとしてコレクションする文化が根強く残っており、また海外在住のアニメ作品ファンに強いエンゲージメントができることが徐々に明らかになっていった。

これによって、それまでTVドラマやCMタイアップの下位互換的存在であったアニメソングが、ミュージシャンにとって強力なチャンネルとして機能するようになったのである。

その先鞭となった事例が、2000年〜2001年にかけて発売されたOVA(TV放映や映画上映ではなく、ビデオソフト販売で発表されるアニメ作品)『フリクリ』だ。同作の音楽を手がけたのは、当時アニメとは程遠いイメージのあった硬派なオルタナティブ・ロックバンドthe pillows。

『エヴァンゲリオン』シリーズのメインスタッフとしても知られる、鶴巻和哉監督がバンドのファンであったことから実現したこのコラボレーションは、『フリクリ』の海外でのカルト的人気獲得によって、バンド側にも海外ファンベース獲得という大きなメリットをもたらすことになった。

実際、the pillowsは『フリクリ』以降、たびたび海外公演や数回のアメリカツアーを行うまでとなり、新たな活躍の場を得たのである。