所持金は数十円、「帰りの電車賃1000円」を借りた

海外からも熱視線を受け、まさに「再ブレイク」に向かい始動している印象のいしだ。一部週刊誌では「薄毛でしょぼくれたおっさんから年収1000万円に」と報じられたが、ここまでの「復活」への道のりは順風満帆なものではなかった――。

前述のとおり、“心の病”を得てからは働くこともままならなくなり、22年3月下旬に上京してきた際には、住む場所もなく、友人の家を転々とし、約270万円の借金も抱えていたという。

当時は「トラブルに巻き込まれることが多かった」と語る。

「小雪姉ちゃんを撮りたい」映画監督・いしだ壱成が語る酒井法子との“姉弟共演”仰天計画と度重なる金銭トラブルの背景にあった「実母とのサバイバル生活」_6
インタビューに応じるいしだ壱成

「薄毛の植毛は企業さんとのタイアップでもあり、仕事としてギャラも発生していたのですが、そのお金も信頼していたスタッフに全部持ち逃げされちゃって。別の企画のために作った資金まで持っていかれました。
でも、それは自分の甘さもありましたし、病気のせいにしてもいけないとは思うのですが、正直、鬱もひどくて。そういった状況で人に逆らえないというか、他人に対する恐怖心もあった。

それでもう、最終的には、所持金が残り10何円とかになり、今回の作品の監督のハシさんに初めて会ったときにも、お金がなくて、1000円借りました。
『これから一緒にやろう』ってなったときに監督から『まず僕は何をしたらいいですか』って聞かれたので『1個だけお願いがあります、帰りの電車賃がないので1000円貸してください』って。そうしたら監督は一瞬、ぎょっとした様子でしたが『わかったわかった。まあ頼ってくれ』って言ってくれたんで、頼らせていただいた。そのくらいギリギリの生活でした」

多発する「金銭トラブル」の背景には
幼少期の「母とのサバイバル生活」

いしだといえば、「フェミ男ブーム」で一躍時代の寵児となった90年代に父親である石田純一(68)からギャラを搾取、使いこまれていたことを告白するなど「金銭トラブル」のイメージがつきまとう。また、結婚と離婚を繰り返したことにより、現在も多額の慰謝料を支払い続けている。
そうした理由について、「人が良すぎるんだと思います。ノーが言えない」と分析する。
そして、「僕の金銭感覚がどこか異常なのは、少なからず育ってきた環境に原因があったのかもしれません」と、話は自らの成育歴に及んだ――。

物心ついたときには両親は離婚していたといういしだは、幼少期には作家である母・星川マリ(67)と国内外のコミューンを転々として暮らしていたという。

「母は、伯父の星川淳とともに日本にヒッピー文化を持ち込んだ人。ずっと女手一つで働いて僕を育ててくれたのですが、僕が小学校4年生になったくらいから、その“思想”が顕著になってきたように思います」

その頃から屋久島や八ヶ岳のコミューンで同じ思想を持つ「同士」たちと「共同生活」を始めたといういしだ。生活は基本的に自給自足だ。

「小雪姉ちゃんを撮りたい」映画監督・いしだ壱成が語る酒井法子との“姉弟共演”仰天計画と度重なる金銭トラブルの背景にあった「実母とのサバイバル生活」_7
屋久島

「島での暮らしは、電気、ガス、水道がないときもあって、電気はランプで、水道は自分で川へ水汲みに行って、ガスがないから、火を起こして。読み書きは東京にいたころに小学校に通っていたのでなんとかなりましたが、とにかく自給自足の生活はやることが多くて忙しいから学校にも行けない。

母は『行きたかったら行きなさい』といいますが、片道4時間くらいかかるんですよ。日の出とともに起きて、日が落ちて20時くらいに暗くなったら寝るという生活。いいか悪いかという話でもなく、自分の子供にこの生活をさせるかと言われたら考えるところですが、まあ、自分で火起こしができる子供はいないだろうと(笑)。

だから、所持金が10何円になっても生きていける、お金がなくてもなんとかなるという考え方は、このサバイバル生活の中で学んだ面もあるのかなって。人によってはお金の問題で自殺してしまう方もいます。でも、お金が無くなっても死ぬことはないんだよ、と」

そんな、野山でのびのびと育ったいしだ少年の生活は91年、彼が16歳の時に大きな転機を迎える。父・石田純一と初対面を果たしたのだ。