父、母、恩師。最愛の人との別れを芸術の形に作り替えることで、喪失を埋めていく。
生きているうえで必ず避けられないのが、親しい人との別れです。甫木元空監督はまだ30歳ですが、「期せずして、そうなってしまいました」と前置きしたうえで、父、母、恩師である青山真治監督との別れを経験し、最愛の人とかつて過ごした日々をモチーフに、映画や音楽ならではの表現として再構築してきました。劇場公開2作目となる59分の映画『はだかのゆめ』は、高知、四万十川の緑深い地で母と過ごした最後の夏をモチーフに、大胆にも幻想譚とした作品です。青木柚さん演じる主人公ノロは、死期を悟りながらもこれまで通りの日常を丁寧に暮らす母親の周りをぐるぐるとさ迷うばかり。劇中には甫木元監督の90歳のおじいさまが祖父役として登場し、誰よりも濃厚な生のエネルギーを放ってもいます。
また、甫木元監督は本作の映画音楽も手掛けています。実は甫木元監督、菊池剛さんとの二人編成のバンド、Bialystocksのボーカル、ギターとしても活躍。11月30日にはOfficial髭男dism、Kroiが所属するレーベル「IRORI RECORD」からメジャーデビューする、世にも珍しい映画監督とミュージシャンの二刀流として注目を浴びる存在なのです。メジャーデビューアルバムのタイトル「Quicksand」が示すように、人には時に、足元が崩れ落ちる瞬間が訪れますが、それをどう芸術に昇華していったのか。後半、Bialystocksのピアニスト、菊池剛さんにも登場いただき、お二人の音楽性についてもうかがいました。
甫木元空(Sora Hokimoto)
1992年、埼玉県生まれ。多摩美術大学映像演劇学科卒業。2016年青山真治・仙頭武則共同プロデュース、監督・脚本・音楽を務めた『はるねこ』で長編映画デビュー。第46回ロッテルダム国際映画祭コンペティション部門出品、ほかイタリア、ニューヨークなどの複数の映画祭に招待された。2019年にバンド「Bialystocks」を結成。映画による表現をベースに、音楽制作などジャンルにとらわれない横断的な活動を続ける。著書にビキニ事件で被災した高知県の元漁師とそのその家族たちを取材したドキュメンタリー『その次の季節』(2021年6月「甫木元空 個展 その次の季節」)。現在、高知県在住。
高知の人たちのそのままを受け入れる、「なんちゃない」の精神から映画を作る。
──私が甫木元空監督の作品に初めて触れたのは、多摩美術大学の卒業制作として作られた『終わりのない歌』(2014)で、亡くなった父親が遺したホームビデオの映像と、かつて営んでいた家族の風景を甫木元監督が再構築して、リアルな映像とフィクショナルな再現劇が混在したユニークな構成でした。
興奮して取材させていただいたのをよく覚えているのですが、その後、長編デビュー作『はるねこ』でも、最新作の『はだかのゆめ』でも生者と死者が寄り添う世界観となっていますね。人の死と、それにまつわる喪失感を映画のフレームの中で再現するのではなくて、見つめ直す、捉え直す作業をずっとされていて、そこが甫木元空監督の眼差しの面白さであるのだけれど、同時にそれは、かなり痛みを伴う作業でもあるなと心配もしていて。体力も精神力も必要とされる創作を続けていることについて教えてください。
「そうですね。まあ、こればっかりはしょうがないなとも思いつつ、たまたまテーマが通じあっちゃったという感じです。大学在学中に父が亡くなって 父が残したホームビデオをもとにセルフドキュメンタリーとしたのが『終わりのない歌』で、そのあと、フィクションを作るにあたって自分の地元で何ができるのかを考え、埼玉で『はるねこ』という映画を作ったのですが、その劇場公開が終わったタイミングで、母親のガンが見つかったんです。ちょうど、自分のルーツについての映画を撮りたいと、母の故郷である高知県で次は何かを撮りたいなと考えていたときでしたが、高知の自然というテーマに、まさか生死の話が紐づくとは想像していませんでした。
そういう意味で、意図的ではなく、たまたま三作続けて生と死についての映画となったのですが、それぞれ、違うアプローチになるといいなと思って作りました」
青山監督からのアドバイスは、自分のルーツを大切にした創作スタイル
──高知で映画を作るにあたっては、多摩美大で教わった青山真治監督のアドバイスが大きいと聞いています。青山監督自身、『Helpless』『EUREKA ユリイカ』『サッド ヴァケイション』とご自身の故郷で撮られていて、“北九州サーガ”と言われていますが、具体的にはどういうアドバイスが?
「そうですね、『はるねこ』は青山さんがプロデューサーでもありますが、映画を撮るにあたって自分のルーツを大事にすべき、というアドバイスから作っていますし、高知で映画を作るにあたっては宮本常一の『忘れられた日本人』に収められている『土佐源氏』を読んだかと指摘を受けたことにすごい影響を受けています」
──『忘れられた日本人』ってオーラルヒストリーで浮かびあがる、表舞台では記録されていない日本人、特に地方の人々のかつての営みですけど、『土佐源氏』は多くの女性との情事の歴史を語る老人の独白で、自慢話というよりも、関わった女性たちの寂しさが想起されるという。
「取材者として、地方に暮らす人たちに話を聞いている宮本常一と聞かれている人の距離感みたいなものをそのまま映画にできればいいなと思ったんです。『忘れられた日本人』ってドキュメンタリーとも言い切れない感じで、若干感じるこのフィクション性は何なんだろうと。特に『土佐源氏』の項は落語じゃないですけど、ちょっと夢っぽい感じっていうか、独特の雰囲気を持っていて、作者と語り手の距離感が近すぎず、遠すぎずで。
青山さん自身、東京に住んだからこそ、北九州に戻ったとき、客観視して撮れた部分があると思うんですけど、高知に移り住んだ今だからこそ、また埼玉を撮ったらすごく変わるんだろうなという感触もあります。ある種、行ったり来たりする人って、中にいるだけの人と違って、外からの視点も獲得しているので」
──『はだかのゆめ』の話に行く前にもうひとつだけ、甫木元監督は高知に移り住んでから、遠洋漁業の最中に、核実験の被ばくにあいながら、偏見や廃業を恐れて被害を訴えられなかった高知の漁師とその家族たちを取材したドキュメンタリー『その次の季節』も発表されていますが、その体験も『はだかのゆめ』に何らかの影響は与えていますか?
「僕は海のない埼玉で生まれ育ったので、それまで海がある生活ということに対してほとんど体感がなくて、海と密着した生活を聞くことがまず、単純に本当に新鮮だった。なので、ビキニ諸島での核実験で、知らずうちに被爆した人たちに話を聞くというよりも、漁師さんたちにそれまでどういう人生を歩んできたのか、そこを単純に聞く作業にしました」