福井にいたころは原発のネタなんて考えもしなかった
あと、もう一つ。俺がイェール大学で授業をしたときに、日本の文化についてすごく詳しい生徒から受けた質問が面白かった。
「あのー、“インテリ芸人”って言葉はなんですか? アメリカでは芸人は、大学に行って勉強して賢い人がやるものです。日本のバラエティー番組を観て思ったのですが、あえて“インテリ芸人”って呼ぶのは一体何故ですか?」と。
芸人というのはいろんな物事に精通していて、アメリカでは芸人のことを思想家、哲学者、アクティビストといった名称で呼ぶ人もいるくらい、社会で起こっている物事と繋がっているわけ。
本当のインテリジェンスは、ただ高学歴だとか偏差値が高いところに通っていたということではなく、リテラシーを持って自分の意見をしっかりと言えるということだと俺は思う。
日本に関しては、例えば朝の情報番組でニュース速報が入っても、そこにいる芸人はそのことについて一切触れない。いや触れるんだけど、そこに専門知識は無いんだ。
さらに専門知識を持っている人へのリスペクトも無いし、テレビ局もそれを求めていない。例えば出演者のコメンテーターが、ネット上のデマを鵜呑みにして拡散しても、最後は芸人の洒落で済ませてしまう。
結果的に今、起こっていることに対して、何も無いように振舞っていて、まさにそれが、テレビの前にいる人間の無関心さを画面に映し出しているように俺には思える。
――改めて聞きますが、日本ではなく、何故アメリカでチャレンジをしようとしたのでしょうか?
俺はよく地元の福井県の原発についてのネタをやるんだけど、それは福井にいた頃は思いつきもしなかったのよ。それについて特に何も思わなかった。
だけど、地元から出てみて気付いた。日本のことも、外から見ることによって気付くわけやん。同じ場所にずっといると、「日本人として……」とかって思うことも無い。アメリカに行ったらそういうことも考えるだろうし。
一方で、「〇〇人として」って国籍で縛るのは嫌だと思う自分もいる。でもそれをどう実感して、自分の中に落とし込んでいくのか。自分がマイノリティーな存在であるときの方が、アイデンティティーについて考えることも増えるだろうしね。そこでアメリカに行こうと考えたってわけ。