「弱いチーム」に厳しいバスケの街・能代

能代という街は敗者に厳しい。

監督の加藤が能代工2年時の国体で準優勝したときも、地元の菓子店で「弱いお前らに食わせるものはない」と追い出された。加藤の世代が3年生となり、屈辱をバネに3冠を達成すると、その店から食べきれないほどの差し入れが届いたという逸話があるが、残念なことに堀たちは敗戦を糧にできなかった。

インターハイ後、堀たちが地元のショッピングセンターへ行くと、見ず知らずの年配の女性から「練習はどうしたの。負けたのに」と言われた。「わりぃっす、わりぃっす」と、頭を下げてその場を立ち去るしかなかった。

「あれは強烈なエピソードでしたね。『負けるとこうなるのか』とショックでした」

能代工が9冠→無冠に転落。“田臥のひとつ下の世代”でチーム崩壊の危機。当時のキャプテンは監督に反抗、ロッカーを殴って…_3
能代市のガソリンスタンド内の看板
能代工が9冠→無冠に転落。“田臥のひとつ下の世代”でチーム崩壊の危機。当時のキャプテンは監督に反抗、ロッカーを殴って…_4
バスケットボールが描かれた能代市のマンホール

落胆は尾を引いた。選抜メンバーで臨む多くの県と異なり、能代工単独チームで臨んだ10月の熊本国体でも、準決勝で千葉に87-95で敗退。

大会後の加藤との個人面談で、「選抜(ウインターカップ)までやるのか? 引退したほうがいいんじゃない?」と尻を叩かれたが、堀は気持ちを奮い立たせるどころか、また反抗的な態度をとる始末だった。

9冠後の99年世代…「7年ぶりの無冠」

無冠が現実味を帯びてくる。

最後のタイトルとなる12月のウインターカップ前になると、プレッシャーで耐えられなくなった。背水の陣となったこの大会でメンバーに体調不良者が続出し、堀も仙台との準々決勝前夜に感染性胃腸炎を発症した。

すぐに嘔吐してしまうため水分補給もままならない。加えて、インターハイで痛めた右足首も、無理にプレーを続けたことで悪化し、パフォーマンスはどん底だった。チームも東北のライバル相手に73-108。惨敗だった。

7年ぶりの屈辱を、堀はこう甘受する。

「みんなに『次こそは!』って気持ちがあってチームの雰囲気は悪くなかったんです。それでも勝てなかったのは、プレッシャーと、それまでの負けを受け入れられなかった僕らのタチの悪さでしょうね」