「帰れ!」監督とキャプテンの衝突

堀はかなり苛立っていた。

7月恒例のOB戦で、それまでと同じように加藤の怒声が飛ぶ。

「帰れ! 新潟に!!」

怒りが向けられた堀は、加藤に好戦的な目を向け、心のなかで悪態をついていた。

「OB戦前に3週間くらい、先生は高校日本代表の活動かなんかで練習に来てなくて。だから『いなかったくせに、なんだよ!』って」

不貞腐れていると、加藤からまた「帰れ!」とタオルを投げつけられた。堀も負けずに「タオルです」と平静を装って渡す。不毛な応戦のなか、マネージャーの国塚清希に「もうやめろ!」と制止され、体育館の外に連れ出された途端、堀の沸点が最高潮に達した。

「俺らは先生がいなかった間、国塚たちと準備してきたのによぉ!」

大声を張り上げながら堀はロッカーに怒りの矛先を向け、変形するほど殴り続けた。

大人になった堀が、苦笑しながら自戒する。

「まあ、幼かったですね。実際は準備ができてない焦りがあったんだと思います。他の3年生も『経験がない』ってわかっていたから、自分たちのことで精一杯で。そこをみんなで打開しようって雰囲気もなかったですしね」

能代工が9冠→無冠に転落。“田臥のひとつ下の世代”でチーム崩壊の危機。当時のキャプテンは監督に反抗、ロッカーを殴って…_2
現在の堀里也さん

勝ち上がれない現実。「12冠」が消えた

8月の岩手インターハイで、能代工の綻びが顕在化した。

瓊浦(けいほ)との3回戦で堀は右足首を捻挫し、満足にプレーができなくなった。自身の地元で、中学時代から知るメンバーが名を連ねる新潟商との準々決勝では右足の自由が利かずに交代し、チームは79-86で敗れた。

敗北の瞬間は、頭が真っ白になった。堀が「敗けた」という事実を自覚したのは、帰りの新幹線で<高校総体バスケットボール 能代工準々決勝で敗退。7連覇ならず>というニュースのテロップが目に入った時だった。

「なんのために秋田まで来たんだろう」

虚無感が支配していた。

堀は小学生時代、能代工で6度目の3冠を達成した91年の中心選手、小納真樹と真良の双子のプレー映像を何度も観るほど憧れていた。

鳥屋野中で全国優勝を果たし、地元の優れた選手が新潟商へ進むなか、堀は「能代工に行きたい」という目標を叶え、中学からチームメートの村山とともに秋田に渡った。それだけに、現実を受け入れられなかった。

堀たちは、負けるべくして負けた。

その大きな原因のひとつに、後輩たちが育っていなかったことが挙げられる。1年から不動のメンバーで勝ってきた田臥たちの世代は、畑山と小嶋が抜けた最終学年時に危機感を募らせ、下級生との連携を深めようと努めた。

堀たちには、そういった思考はなかった。

「全然、頭になかったです。僕ら3年生が三彦先生に怒られてばっかりだったから、そんな考えに至らず。その差ですよね、負けたのは」