「西條先生に教わりたかったからです」
身長173センチ、体重61キロ。
数字が示すようにまだ体の線は細く、色白でもある。似たような背丈の人間が動き回る体育館ですぐに見つけるのは容易ではない。判別できるとすれば声だ。小気味よく低音の掛け声がする方向に、その選手がいた。
亀山陸斗、16歳の1年生。桐生市立商で唯一の男子バスケットボール部員である。そのため、普段の練習のほとんどは女子バスケットボール部員に混ざって行っている。
男子は今年から高校体育連盟に加盟し正式な部活動と認められているとはいえ、単独では試合を経験できない。もしかしたら、1年間を棒に振ってしまう可能性だってある。そこを理解しながらも、亀山は桐生市立商でバスケットボールをすることを選んだ。
亀山が示す理由はたったひとつだ。
「西條先生に教わりたかったからです」
桐生市立商の西條佑治監督は、知る人ぞ知る経歴の持ち主である。あの能代工(現・能代科学技術)の出身。インターハイ、国体、ウインターカップと主要大会を、1996年から98年まで3年連続で制する「9冠」を達成した田臥勇太の世代の1学年上で、チームを統率するマネージャーを務めた。
東京学芸大進学後は選手に復帰し、教師となってからも教員チームでプレーした。
指導者としての西條も、辣腕を発揮する。
教師となって初めて赴任したのは、西條いわく「最初は茶髪にピアスの部員がいたくらい」の群馬・太田東だった。本気で競技に取り組む雰囲気ではなかったこの弱小校を、在任6年の間に県の上位に食い込むほどにまで成長させたのである。
現在、指揮を執る桐生市立商も、女子バスケットボール部の監督に就任した2009年時点でインターハイ出場回数はわずか1回。実績はあったとはいえ、長らく全国の舞台から遠ざかっていた。
そこから西條がチームを立て直し、13年にインターハイとウインターカップに出場したのを端に、今年も含め計8度も全国大会へと導いた。桐生市立商は今や、群馬ではれっきとした強豪校である。
亀山が惹かれたのはそんな「看板」ではなく、西條が指導者として放つ熱意だった。