M-1に挑戦し続けた15年間

《M-1後、最速インタビュー》金属バットにとってM-1グランプリとは何だったのか?「僕らずっと、人気ない、影の方の芸人やって…」【ノーカット掲載】‗06
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――15年間を振り返ってどうですか?

友保 いやクソでしたねぇ。クソな人生ですよ。

小林 15年。

友保 長い。

――何年目からM-1に挑戦されてたんですか。

小林 最初からっすね。

友保 ケツたたかれて。

小林 うん。

友保 でまぁいったん、終わるじゃないですか。M-1(2011年~2014年までは未開催)。あのいったん終わるとき(2010年)に3回戦行けたよな、初めて。

小林 あぁ、そうやんな、

友保 そんときわしがネタを飛ばしたんですけど。めっちゃへらへらして。なんやねん、なんも緊張せんなぁ、言うて。へへへーん、っていって、マイクの前に行ったらバチ、ネタ飛んでもうて。

小林 多少、緊張せなあかんねんな(笑)

友保 うーん、そやな。気ぃ張らなあかんねんな。

――せっかく3回戦まで行けたのに、M-1が1回終わってしまった。

友保 終わってもうて、で、THE MANZAIが始まったんですけど。あんとき、もう死ぬほど気ぃ抜いてて。出んかったんかなぁ? しばらく。

小林 んー。最初は出たんやったかな? 1回だけ。

友保 ほんまに? なんか、先輩に言われたんよな。「お前ら、THE MANZAIエントリーしたんか」みたいな。そんで「あ、はぁ、してないっすわ」みたいな。「早よせぇよ」言われた日が、その、申し込みの最終日やって。そうよ。で、なんかだるいで行かんかったんやっけ。

――やっぱり芸人をやってるからには賞レースに出ないといけないという空気感がある。

小林 (質問を無視して)おぉー。仕上げたなぁ(※担当編集が3種類のお通しをすべて同じ器にぶっこみだす)。これやるの金岡(※担当編集の出身地名)だけっすわ。

友保 怖いて、金岡のヤツ。なんか昔、追いかけられてたよなぁ?

小林 えぇ?

友保 なんか夜中、急にあれ、競馬始まるときの曲鳴らされて。車が後ろから追いかけてきて。

小林 あったわ。あれそうか、金岡らへんやん。

友保 競馬の始まるファンファーレ鳴って「なんや?」って振り返ったら車が追いかけてきて、歩道入ってきたねんな。

小林 そうやそうや。

――いつぐらいの話ですか?

友保 もう20年前ぐらいですかね。わしらが高2くらい。

つづく

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取材・文/西澤千央 撮影/高木陽春