日雇いバイトと漫画にまみれた上京生活
――本作を描くにあたって苦労した点はありましたか?
作品テーマそのものですけど、友だちづくりに苦労しましたね(笑)。近所のバーに行ったり、飲み会サークルのオフ会に参加したり、サブカルイベントに行ったりと色々やったんですけど、なかなかうまくいかなくて。連載自体も結末を決めずに、見切り発車でスタートしていたので、「この作品はどうなってしまうんだろう」とハラハラしながら描いていました。
――中川さんがこの作品を描いていた2011年ごろは、どんな生活だったのでしょうか。
上京してきて、まだ半年くらいでした。漫画家支援プログラムの「トキワ荘プロジェクト」に参加して、漫画家のたまご5人と一軒家に住んでいたんですけど、お金も全然なかったので連載が決まるまでは日雇い派遣のアルバイト生活です。「今日はこの現場に行ってください」みたいなメールが毎日きて、行って、働いて……という感じでした。
――日雇いバイトだと友だちはできづらいですよね。
今日を生きるので精一杯の人たちばかりで、殺伐としていましたしね。毎日違う顔ぶれだし、友だちができる要素はまったくなかったです。いま思えば特定のバイト先にしておけば友だちはできたのかもしれないけど、僕も日雇いの方が気楽だったんですよ。そこは、逆に僕のダメな部分が出ていましたね。
――日雇いバイトではどんな作業をしていたんですか?
文庫本の帯を付け替えてました。作品が映画化されたりすると、帯が変わるじゃないですか。「絶対にいつかこっち側に行くぞ」みたいな気持ちで、延々と作業していましたね。
漫画の仕事が全然決まらないので、本腰を入れて図書館司書をやろうと思ったこともあります。でも、研修を受けて現場に出る数日前のタイミングでこの作品の連載が決まったので、それはやめたんですけど。