なぜ秋田の名門・能代工を選んだのか

型にハマらないプレースタイルは、田臥が育ってきた環境とも大きく関係している。

NBA好きの父の影響で、小学生の頃からシカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンやフェニックス・サンズのチャールズ・バークレーなどスター選手たちのプレーに釘付けだった少年は、そのエッセンスを自身のプレーに反映させたいと好奇心を揺さぶられた。

また小学、中学の指導者たちから基本を教わるなかでも「自分の得意な分野を活かせ」と後押しされてきたことで、田臥はのびのびとスキルを伸ばすことができた。

それは、バスケットボールにおいて最重要とも言える体格差を「感じなかった」と言い切る、田臥の言葉からもうかがえる。

「『サイズに対抗しよう』ってマインドがなかったんですよ、もとから。相手に大きい選手がいるのはわかっているんで、高さで敵わない分、速さだったり、シュートやドリブルでフェイントをかけたり、タイミングをずらしてどれだけ惑わせられるか。できる、できないは別として、そういうことを楽しみながらチャレンジしていたというのはありますね」

右手で試して相手にブロックされたら、今度は左手に持ち替えてみよう――田臥はトライ&エラーを繰り返すことで、プレーのバリエーションを豊かにしていった。

ジュニアオールスターで爪痕を残した田臥は、中学3年の全国大会で前田がキャプテンを務める洛西中に敗れたもののチームを3位へと導き、自身も大会ベスト5に選ばれた。それが、能代工への道へと繋がることとなるわけだが、田臥は最初から、この名門への進学を望んでいたわけではなかった。

知名度の高さや数々の栄光への憧れはあったが、優先順位はまだ地元の神奈川にあった。湘南工科大附や横浜商大高といった強豪校があり、中学のチームメイトには田臥の実家近くにある横浜へ進む者もいる。選択肢があったなか能代工を選んだのは、有望な中学生が一堂に会す練習会に誘われたことがきっかけだった。