異国暮らしの日本人にとって、日常の食は重大な問題だ。世界中どこにも独自の食文化があり、好むと好まざるとにかかわらず、そこにあるものを食べて生きていくわけだが、私のあくまで個人的な経験と感覚から言って、たとえ現地の食が好みや体質に合っているとしても、それだけで満足していられるのは最長2年だ。その後には、いかに日本食にありつくかが死活問題になる。

 長年暮らした大都会ベルリンにはアジア食材店という心強い味方がいた。納豆だってもやしだって、一般のスーパーでは手に入らないが、アジア食材店でなら買える。「日の出」という名のイタリア産日本米(?)もあった。アルファベット表記がShinodeだったせいで日本産のふりには盛大に失敗していたものの、味はちゃんと日本の米だった。

 さらに、「アジア」と大雑把に一括りの店なので、逆に日本にいるときには知らなかった中国やインドやタイなどの食材も使うようになり、料理のレパートリーが増えた。

 ところが、いま暮らしているポルトガルの山奥には、アジア食材店もアジア料理のレストランも見当たらない。最寄りの町で食べられる唯一の「外国料理」はピザである。寿司やカレーが食べたければ、大きな町まで車で1時間かけて行くしかない。

 それでも、いい時代になったもので、リスボンの日本食材店が醤油や味噌など基本的な調味料から、カレールーやお好み焼きソースといったちょっとしたぜいたく品、さらには日本のビールや梅酒まで、オンライン注文で山奥にも送ってくれる。

 ただ、残念ながらオンラインでは買えない食材がある。冷凍、冷蔵が必要なものだ。そのひとつが納豆である。

 私にとって、納豆は単なる好物を超えて、なくては生きていけないレベルの必須食品だ。ベルリンでは冷凍輸入した日本製のものをアジア食材店で買っていた。1パック130円ほどの高級品だったが、その出費だけは惜しまなかった。

 その大切な納豆が、山奥に引っ越したために買えなくなってしまった。しかし、納豆を食べずに生きていくという選択肢はない。こうなったら自分で作るしかない。

 そう決意したとき思い出したのが、日本で暮らす妹が使っているヨーグルトメーカーだった。まだベルリンに住んでいたころ、一時帰国時に見せてもらったレシピ集に納豆があった。当時は「へえ、納豆自作する人なんているんだ」と完全に他人事だと思っていた。

 調べてみたが、ヨーロッパではなかなか温度調節ができるヨーグルトメーカーが見つからなかった。納豆を作るにはレシピどおり45度で発酵させなければならないと思い込んでいた発酵初心者の私は、まず一時帰国時にヨーグルトメーカーを買うところから始めた。

 作業工程は意外に簡単である。大豆(オンライン購入。ポルトガルの大型スーパーにもある)を一晩水に浸してから、圧力鍋(このためにわざわざ購入した)で茹でる。大豆が柔らかくなったら、納豆菌(スイスの自然食品店からネット購入)を少量混ぜる。最初は、こんなに少量の菌で本当に発酵するのだろうかと不安になるが、そこは心を鬼にしてレシピどおりの分量で。

 あとは納豆菌を混ぜた茹で大豆をヨーグルトメーカーに入れて、レシピどおり45度で24時間発酵させるだけだ。途中で気になって、粘りが出ているかを混ぜて確かめたくなるのだが、そこはぐっと我慢せねばならないと学んだ。代わりにたまに鼻を近づけて、納豆臭がするかを確かめる。

 経験上、大豆の茹で方が足りないと、いい粘りが出ないことが多い。大豆は指で簡単につぶせるようになるまで、とにかく徹底的に茹でることが大切である。それ以外にはコツらしいコツもなく、納豆は案外あっけなくできる。

寿司原理主義者、納豆を作る【ポルトガル限界集落日記】第2回_1
茹でた大豆に納豆菌をふりかける
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寿司原理主義者、納豆を作る【ポルトガル限界集落日記】第2回_2
ヨーグルトメーカーで24時間発酵させる
寿司原理主義者、納豆を作る【ポルトガル限界集落日記】第2回_3
出来上がった納豆に庭で栽培している紫蘇を混ぜて

 こうして出来上がった納豆は、市販品に比べると豆の味が強い。不思議なことに、これまで納豆を食べられなかったドイツ人の夫が喜んで食べるようになった。本人曰く、買ってきた納豆にある「腐臭」が、手作り納豆にはないのだそうだ。その「腐臭」が好きな私としては微妙な気分である。夫が喜んで食べるようになったせいで消費量が倍になり、頻繁に作らねばならなくなったのも困りものだ。

 現在は、ヨーグルトメーカーで一度に作れる量の倍の大豆を茹でて、納豆菌を混ぜ、半分は冷凍している。二度に一度は大豆を茹でる手間が省けるので便利だ。

 手作り納豆に、夏ならオクラや庭で栽培している紫蘇、冬なら玉ねぎなどを混ぜて(田舎のスーパーには青ねぎが売られていない!)、白米にのせて食べるのが至福のときである。ポルトガルでよく食されるクレソンが納豆に合うことも発見した。

 ヨーグルトメーカーのおかげで、ほかにもいろいろな発酵食品を手軽に作るようになった。

 最近は玉ねぎ麹を作っている。コンソメキューブの代わりになるほどうまみが強いとネットで読んで、いつぞや日本で買った米麹に玉ねぎと塩を加えて作ってみたら、これが素晴らしい働きをする。スープに入れても、炒め物の味付けにも最適だが、肉や魚を漬けこむと臭みがなくなり、深い味わいが出る。

 先日、近所の人に野生のイノシシ肉をもらってしまった。罠を張ってとらえたイノシシを自分でさばいたのだという。大変美味だという。私はジビエが苦手だ。だがこの玉ねぎ麹とワインとニンニクに漬けこんでから焼いたら、生まれて初めてのイノシシステーキは、臭みのまったくない素晴らしいごちそうになった。最初は「ひとり2枚ノルマだからね」と夫婦で押し付けあっていたのに、最後には奪い合いになった。肉がよかったのかもしれないが、私は玉ねぎ麹のおかげだと信じている。

 調子に乗って、発酵食品以外にも手をのばしている。昨年からは梅干しならぬ杏子干しも作っている。

 もともとは夫が、「梅干しは杏子でも作れるんじゃないか」と言い出したのがきっかけだった。梅干しが大好物なのに、こちらでは非常に高価でなかなか買えず、恋い焦がれていたらしい。「えー、あんずう??」と疑念丸出しなうえ少々上から目線で調べてみると、なんと少なからぬ在欧邦人が、梅干し代わりに本当に杏子干しを作っているようだった。日本人の日本食への執念、おそるべしである。顔も名前も知らない同胞たちへの連帯の思いで胸が熱くなる。

 さっそく杏子干し作りである。数年前に庭に植えた杏子の木に生った実があるが、これは貴重すぎるので、梅干し愛の強い夫もさすがに提供するのを渋った。幸いポルトガルでは果物は安い。数キロ買い込んで、ネットで見つけた梅干しのレシピをそのまま杏子で実践した。広口瓶を消毒し、やはり1粒ずつ消毒した実と、分量をきっちり量った塩を投入。大雑把で、なんでもすぐに楽なほうにアレンジしてしまう私と違って、こういう作業を正確に遂行できるのは夫のほうである。

 それからは一日何度も、梅酢ならぬ杏子酢が上がっていく様子をワクワクしながら見守る毎日。1か月ほどたって杏子酢がすっかり上がったら、実を3日間、天日干しする。ポルトガルの夏は晴天続きで、雨の心配はいらない。

 こうして出来上がった杏子干しは、色こそ黄色いものの、味は驚くほど「梅干し」だった。杏子の甘酸っぱい香りがふわっと漂うのがどこかエキゾティックだ――と書くといかにもおいしそうだが、要するに本物の梅干しとは違う香りがするというだけのことである。

 それでも、我が家ではそれ以来、杏子干しを「梅干し」と呼び、本物の梅干しとして丁重に遇している。

寿司原理主義者、納豆を作る【ポルトガル限界集落日記】第2回_4
杏子に塩を投入して、杏子酢が上がるのを待つ

 梅酢(正体は杏子酢)のほうも重宝している。夏にはゴマペーストと混ぜて冷麺のタレにしたり、杏子酢ですし飯を作って、(偽)梅干し、ツナ缶、卵焼き、ゴマ、ねぎ、オクラ、紫蘇などでなんちゃってちらし寿司を作ったり。お酢代わりにサラダにかけるのもいい。実は私は、(偽)梅干しそのものよりも、店で梅干しを買うだけでは手に入らないこの(偽)梅酢のほうが気に入っている。

 日本食っぽい味を実現するために、材料がなければ代わりを探す。異国での食生活には、創意工夫と妥協する潔さが肝心である――などとうそぶきながら、みりんの代わりにポートワインや果物の蒸留酒を使うのはすっかり習慣化してしまい、もはや代用品を使っているという意識さえない。

 ところで、日本食をめぐる創意工夫に精を出すのは、在外邦人ばかりではない。

 ポルトガルに来て仰天したことのひとつが、当地の寿司事情だ。現在、「スシ」がもはや日本の「寿司」ではなく、ピザやパスタと同様、それぞれの国で独自の発展を遂げた現地食と化していることは、長年のドイツ暮らしでわかってはいた。巻き寿司に衣をつけて揚げたもの、唐辛子を入れたもの、照り焼きソースや東南アジア風の甘辛ソースをかけたものなど、多彩な「スシ」には耐性がある。

 しかし、ここポルトガルには私の想像を超えたスシが存在していた。果物と生クリームである。軍艦にイチゴやパイナップルがのっていて、その上に生クリームがかかっているのだ。ショートケーキを小型にしたような華やかな見た目だ。イチゴとクリームチーズを巻いたロールケーキのようなスシもある。勇気がなくて食べたことはない。しかし、街のスシ屋で子連れ家族などが「フルーツスシ」を注文している現場にはよく遭遇する。

 うっかり「おまかせ盛り合わせ」など頼んでしまうとまず間違いなくイチゴが入ってくるので、事前に「果物とクリームとチーズは抜きで」と言うのを忘れてはならない。

 そう注文すると、「アボカドは大丈夫ですか?」と訊かれる。アボカドにOKを出すと、今度は「じゃあマンゴーは?」と続く。マンゴーのスシはアリなのか。だが、アボカドはアリなのに、マンゴーがナシなのはなぜだろう? 仮にマンゴーがアリならば、なぜイチゴはだめなのか……アボカド入りのスシだって、かつて初めて見たときには仰天したではないか。

寿司原理主義者、納豆を作る【ポルトガル限界集落日記】第2回_5
都会のスシ屋で。もちろんイチゴ寿司は入っていない。ご興味ある方はSushi de frutasで検索を
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 友人グラシンダの末娘フェルナンダは、大学進学で都会に出てスシの味を覚えた。

「生魚は食べないけど、お寿司は大好き!」とよくわからないことを言うので、かっぱ巻きやカリフォルニアロールを食べるのかと思いきや、一番の好きなネタはイチゴだという。

 私が「日本の寿司には果物のネタはないんだよ」と残酷な真実を告げたら、大変ショックを受けていた。だがやがて気を取り直して、

「じゃあ、イチゴ寿司は寿司じゃないってことでいいよ。寿司じゃなくてそういう食べ物だと思って一度食べてみて、おいしいから!」としきりに勧めてくる。

 しかし日本人として、この一線だけは越えてはならないような気がする。いや待て、日本の回転寿司にも、カルビやナスの天ぷらなど独創的な寿司がいまやたくさんあるではないか。イチゴ生クリーム寿司だって、スシローで出せば子供たちに人気が出ないとも限らない。明太子スパゲティだって、イタリア人から見たら邪道中の邪道だろうが、おいしいではないか……

 ということは、私がイチゴ寿司を拒絶するのは、原理主義的イデオロギーによるものなのか。「創意工夫と妥協する潔さ」などと得意がっても、所詮はその程度か。スシ屋で「果物とクリームとチーズ抜き」と注文するたびに、己の寛容の限界を痛感する。

(つづく)

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