ドイツ語圏文学の翻訳者のくせに、昨年からポルトガルの山奥で暮らしている。北国ドイツの400万人都市から、南国の辺境、人口10人の限界集落へ。次々に襲ってくるカルチャーショックに、笑ったり、おろおろしたり、頭を抱えたりする日々を綴ってみることになった。

【ポルトガル限界集落日記】第1回:明るい『ごめん』とポルトガル時間_2
山の中の「ぽつんと一軒家」。
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 完全に居を移したのは昨年だが、ここ山奥に家を買ったのは2014年のことだ。当初は休暇用の別荘にするつもりだった。山の斜面に段々畑のように広がる敷地には、代々ここで暮らしてきた人たちの丹精の結実であるブドウ畑やオリーブ畑があり、何本ものオレンジ、イチジク、コルク樫や栗の木が、北国の人の憧れを掻きたてる。しかも三方に開けた壮大な眺め、隣家は向かいの山のなかという、ドイツの田舎で育った夫念願の「ぽつんと一軒家」だ。私のほうも、素朴ながら味のある田園風の家の内装に一目ぼれした。敷地内に複数の水源があって、自前の水が豊富なことも魅力だった。

 そんなわけで、夫婦で動機は違ったものの意見が一致し、私たちの人生初の不動産購入は、ほぼ衝動買いだった。

 現在の家が建てられたのは、地域一帯にまだ電気も水道もなかった50年前。直近の住人が改修してはいたが、あくまで最低限だった。蛇口から水が出て(井戸水を電動ポンプでくみ上げる)、電気が通っていて(しかし購入後にはりきって訪れた最初の冬には停電していた)、トイレが水洗、といった程度だ。温水はガレージの屋根に取り付けられた太陽光パネルで作る。日光が足りない冬のために、薪ボイラーが設置されていた。薪を燃やして、1、2時間かけて300リットルの湯を沸かすのである。暖房器具は居間に備え付けられた薪ストーブひとつであるうえ、美しい木枠の窓からは隙間風が吹き込み、冬の朝、起きるとスキンケア用のホホバオイルが凍っていた。

 とはいえ、休暇で訪れる分には、多少の不便もイベントである。私たちは2年ほど、地元の人たちもとうに送っていない「素朴な田園生活」を無邪気に楽しんでいた。

 しかし、そんな呆(ほう)けた酔狂も、いつかは現実に打ち砕かれる。あるとき、シャワーブースの安いプラスティック製の床にひびが入った。ひびのすぐ下は、あろうことか木の床だった。以前の住人が、もともと通常の部屋だった場所をバスルームに改修した際、床に防水処理を施していなかったのだ。床下は地下室で、天井の覆いを剥がしてみると、なんと湿気で腐りかかった木の梁が出てきた。

 そこから、我が家の長い改修の旅が始まった。1キロ先の村に住む左官A氏に来てもらい、バスルームと、やはり床が木のままだったキッチンを、床と梁からすべて取り換える大改修を頼んだ。A氏にはそれまでもちょっとした修復を頼んだことがあり、毎回いい仕事をしてくれたから、初の大仕事になる今回も当然大丈夫だと思い込んでいた。教えてもらった店に出向いて、タイルやバスタブなどを選び、工事の準備としてキッチンとバスルームのなかを空っぽにしたところで休暇が終わり、ベルリンに戻った。

「次に来るときには完成してるよ!」と明るく言われて、疑いもせずに。

 しかし、我々は甘かった。半年後に戻ってみると、家はみごとに私たちが去ったときのままだった。A氏からは「ごめんごめん、ほかの仕事が押しちゃって」と明るく謝罪された。「次に来るときまでには絶対!」と新たな約束付きで。

 もやもやした思いを抱えつつ、あまりに屈託のない謝罪に毒気を抜かれて、私たちはしょんぼりと、片付けてあった皿や鍋をキッチンに戻して休暇を過ごした。

 しかし次も同じだった。明るく謝罪、明るく約束。シャワーブースのひびはどんどん大きくなり、梁はどんどん腐っていく。

 そんなこんなで1年がたち、途方に暮れていた私たちの前に、救世主が現れた。いまでは友人となったジョゼだ。

 もとはといえば、私たちの滞在予定時期には、A(もはやこのころには呼び捨てである)がついに工事を始めているという何度目かの約束だったので、現場でいろいろ話し合おうと、近くに休暇用のコテージを借りたのだった。その貸主がジョゼだった。

 もちろんAはそのときも改修を始めてなどいなかったので、借りたコテージは無駄になったが、ジョゼと話をするうちに、彼がポルトでの会計士の仕事をやめて、妻の実家に近い当地に移ってきたこと、コテージも自宅も廃墟を自ら修復したものであること、いまは英語が話せるのを強みに、相棒のプロ左官ジョルジェ(非常にシャイで、ポルトガル語でさえほぼなにも話さない)とともに、主に外国人の家の改修を手掛けていることを知った。イギリス、ドイツ、オランダなど北から来た人々には「ポルトガル時間」は通用しないので、期限厳守が売りだという。

 私たちは即座にジョゼに我が家の改修を依頼した。Aに「もう待てないから」と断ると、気を悪くした様子も見せず、「ほんとごめんね、遅れちゃって」と再度明るく謝罪された。その後気まずくなるかと心配したが、Aとはいまも普通に近所付き合いをしている。先日も自宅の窯で焼いたやたらとおいしい手作りパンをもらった。

 そこからの進展は速かった。ジョゼと相棒ジョルジェは、9月に始めて11月に終えると言った仕事を本当に9月に始めて11月に終えた。しかも非常に高いクオリティで。奇跡のようだった。シャワーブースにひびを発見してから、実に1年半の道のりだった。

 あれから今日まで、数えきれないほどの改修、改装をしてきた。「ポルトガル時間」にも耐性ができて、いまでは職人が約束の日に現れると驚くほどである。

「火曜日の約束だったよね? 今日火曜日だけど……」やってきた職人に思わずそう言って、「……ポルトガル語、難しいよね」と同情の目を向けられたこともある。

 全体的に、当地での改修工事は手作り感満載で、忍耐力のみならず、即興性、柔軟性が試される。

 「即興性」とは、心をフラットにして、相手の「ふとした思いつき」に即座に対応することだ。屋根裏を拡張して居住スペースにできたのは、雨漏りし始めていた屋根を新しくする工事の開始当日に、大工の棟梁が「ふと思いついた」からで、詳細はそこから10分で詰めた。なぜ見積もり時に言ってくれないのか、などと問うてはならない。

 こちらの「ふとした思いつき」も、もう遅いかもなどと思わず、ためらわずに表明することが肝心だ。いまでは生活に欠かせない場となったテラスは、夫が「ふと思いついて」設計図を引き、ジョゼとジョルジェに造ってもらったものだ。当初は階段を造る計画だったのを、やはり土壇場で変更した。結婚生活における夫の数々の「ふとした思いつき」のうち、最も思いついた甲斐があったものだ。

【ポルトガル限界集落日記】第1回:明るい『ごめん』とポルトガル時間_3
夫の「ふとした思いつき」の結果できたテラスは、いまでは生活に欠かせない存在

「柔軟性」も鍛えられた。棟梁の思いつきでできた屋根裏居住スペースの内装をジョゼとジョルジェが始めた日のことだ。屋根裏の古い床を剥がしてみたら、歳月で梁が歪んでいることが判明した。そこで、急きょ梁を取り換えることになった。となると、専門の職人を呼んで、既存の居住スペースである一階の天井も剥がすことになる。内装のはずがいきなり大工事になり、家は人が住める状態ではなくなる。私たちは「どっかにヴァカンスにでも行っといで」との言葉とともに家を追い出された。陽光溢れるポルトガルを去り、寒風吹きすさぶドイツで役所関係の用を済ませ、独仏の家族や友人宅を転々とした後、最後にはピレネー山脈でスキーまでして、家に帰ることができたのは6週間後だった。

 工事中の家の様子は「見ないほうがいい」と言われて、写真も送ってもらえなかったのだが、こわごわ帰ってみると、天井は50年前の手仕事だったもとのデザインのまま新しくなっており、家もジョゼの友人の清掃人によって、ホテルの部屋なみにピカピカに掃除されていた。バスルームの棚のタオルのしまい方には、それまでとは違った新たな秩序がもたらされており、私たちはいまでもその秩序を守って暮らしている。

 こうして現在、屋根裏の内装工事が進んでいる。「手作り感」と「参加している感」溢れる毎日だ。床の木材や断熱材など、資材はたいてい私たちが直接店に出向いて買ってきた。来週は便器を買いにいく予定だ。釘が足りないから買ってきて、とお使いに出されることもある。ジョゼに命じられて、夫は今日も黙々と木材にニスを塗っている。私はジョゼの相棒である無口なジョルジェに、せっせと庭のオレンジを搾ったジュース、コーヒー、甘いものを出し続けて、この夏ようやく、「暑いね」「夏だからね」程度の会話が成立するところまでこぎつけた。

【ポルトガル限界集落日記】第1回:明るい『ごめん』とポルトガル時間_4
現在内装工事中の屋根裏スペース

 中北欧人には怠け者と揶揄されることが多いポルトガル人だが、私の印象では、労働時間は決して短くないし、時間外労働もいとわない。予定通りに仕事が進まないのは、たいていの場合、依頼された仕事をすべて断らずに受けて、処理しきれなくなってしまうからだ。

 地元の石工は、キッチンカウンターを造る際、何度か手違いでやり直しが必要になり、最後には夜の9時に職人を連れてやってきて、11時まで働いて完成させ、颯爽と帰っていった。

 電気店の主人フェルナンドも、「水道ポンプが壊れた!」と連絡したら、「蛇口から水が出ないと困るよね!」と、日曜日だというのにすぐに飛んできてくれた。

 終業時間がほとんど宗教の戒律にも似た厳格さで死守されるドイツから来た身には驚きである。ベルリンでは、金曜の午後に、嵐でバルコニーから部屋に水が流れ込んできたとき、足首まで水に浸かりながら同じ建物内の管理会社に電話をしたら、「今日はもう終業なので月曜日に連絡してください」と言われたこともあったというのに。

 だがなんといっても、私にとっていまだに新鮮なのは、仕事が予定どおりにいかないとき、ポルトガル人があっさり明るく謝罪することだ。長年のドイツ暮らしで、決して謝らない相手から「なぜうまくいかなかったのが自分のせいではないのか」を長々と聞かされ、最後にはとにかく話を終わらせたい一心で「ようくわかった、あなたは悪くない、私はまったく気にしていないから」と言わされる経験を重ねてきた私としては、ポルトガル人にあっさり「ごめん」と謝られると、拍子抜けして「ま、いっか」となってしまう。

 しかも謝り方が明るい。「ほんっとごめん、めっちゃごめん、ビール奢るわ、そこのカフェ行こ!」と、何本ビールを飲んだことか。

 そして、なんともリラックスした仕事ぶりの彼らは、一様にこちらの失敗にも寛大だ。電気店の主人フェルナンドに、あるときは「ヒートポンプが故障した!」と連絡を入れたことがある。ヒートポンプは、フェルナンド自身が技師たちとともに数日にわたる工事の末に取り付けてくれたものだ。我が家にセントラルヒーティング(夫の希望)と、薪を焚かなくても蛇口から出る温水(私の希望)をもたらしてくれた。

 ところが、故障だと思ったのは私たちの早とちりで、実は嵐の際の停電でボイラーの電源が落ちていただけだった。「お湯が出ないと困るよね!」と今回もすぐに飛んできてくれたフェルナンドは、カチリとボイラーのスイッチを入れると、恐縮して謝り倒す私たちを「そういうこともあるよ」と笑顔で慰め、お金も受け取らずに帰っていった。

 フェルナンドに依頼した別の仕事が遅れているのに、毎回ビールを奢られて許してしまうのは、彼が本当に切羽詰まっている人のところには、予定の仕事を後回しにしてもすぐに駆け付けることを知っているからだ。私たちのところに今日もやってこない彼は、きっといまごろ、どこかで別の誰かの窮地を救っているに違いない。(だったら一言連絡しろよ)

「ポルトガルではなにひとつ予定どおりに運ばないのに、どういうわけか最後には帳尻が合う」と、長年こちらで暮らしているドイツ人の友人は言う。

「イギリスではこうこうこうやるんだ、なぜポルトガルもそうしない?」とキレたイギリス人に、我らがジョゼは「そうするとポルトガルも、君がもう暮らしたくなくて去ったイギリスみたいな国になるからだよ」と答えた。

 郷に入っては郷に従え。「そういうこともあるよ」と許したり、許されたりしながら、帳尻が合うという「そのとき」を気長に待つのも悪くないかも――と、地元の友人グラシンダに言ったら、「あんたはまだポルトガル人のルーズさの本当の怖さを知らないのよ」と凄まれた。

 できれば今後も知らないままでいたい。

(つづく)

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