香水が好き。香りを嗅ぐと、風景が見えるから。さいきん気に入っているのは、庭園のイメージから着想された、アクア アレゴリアというコレクションのベルガモット カラブリア。このゲランの香水にはしたたかな夏の風合いがあって、いまくらいの寒い季節につけると、過ぎ去った陽光の記憶が胸によみがえる。そして歓喜と苦痛とが抱き合う時間にもみくちゃにされ、たまらなくせつない気分になれるのだ。
季節が移り変わるとき、人はいまここにある世界がものすごい勢いで失われてゆくことに驚き、心がゆらぐ。そんな症状にそっと寄り添い、なぐさめてくれるのがジョナス・メカス『セメニシュケイの牧歌』だ。
これはメカスが少年時代をすごしたリトアニアへの望郷の思いを母語リトアニア語で描いた詩集で、書き上げたのは一九四八年、第二次世界大戦終了のどさくさの中、ドイツ各地の収容所を転々としていた苦難の季節のことだった。収容所を出たあと、メカスはニューヨークへ渡った。リトアニアはソビエトによって占領され、うしなわれた祖国となっていたのだ。
ああ、古きものは、クローバーの開花、
夏の夜の、馬の鼻あらし――
地ならし機のローラーや、まぐわ、犂の音、
水車の石臼の重い音、
草むしりをする女たちの肩懸けの白い光り、――
古きものは、茂みの枝に降りかかる雨の音、
夏の紅に染まる曙に啼くクロライチョウの声――
古きもの、それは、私たちの交わすことば。
メカスの言葉は、失われた風景の輪郭を、掌で、指で、丹念に撫で、読んでいると、ああ、言葉とはひとつの絵筆だったのだ、と思わされる。その風景を自分の目でもういちど見ることは決してできないとしても、言葉はかつてあったものを、そのさらに遠い地層から優しく掘り返し、そこに生きた人々の物語としてなんどでも夢の中に呼び覚ます力をもつのだ。
もう一冊は鴨長明『方丈記』である。この本は、この世のすべてのものは移り変わり、いつまでも同じものはないといった無常観を、彼自身が経験した安元の大火、治承の竜巻、福原遷都による都の混乱、養和の大飢饉、元暦の大地震といった数々の災難を通して語っている。しかも書かれたのが、貴族の世の中から武士の世の中へと政治が移りかわるまさに激動の季節。
ゆらぎにゆらいだ彼は五十歳で出家する。で、方丈庵と呼ばれる極小の家をこしらえるのだけれど、その家は地面に柱を打ちこまない、荷台に載せて東西南北どこへでも移りゆくことができる組み立て式だった。無常観もここまで腹の括り方が徹底していると、逆にちょっと面白い。